イギリス在住のブレイディみかこさんが『婦人公論』で連載している好評エッセイ「転がる珠玉のように」。Webオリジナルでお送りする28.5回は「『あの列』は何だったのか」。エリザベス女王の死後、別れの挨拶をしようと7kmも8kmも黙々と人々が並ぶ「あの列」が出現して――

「あの列」に誰もが思った2つのこと

まさかブライトンにはいないだろうと思っていたが、ロンドンのウェストミンスター宮殿に安置されたエリザベス女王の棺に一礼をしに行ったという知人がいた。スーパーの前の駐車場でばったり顔を合わせて立ち話になったとき、「いや、わたしじゃなくて、母親がどうしても行きたいと言うから。一人で並ばせるのは心配で……」と彼女はどこか言い訳がましく言った。

「それに、わたしたちは最初の頃に行ったからまだ24時間も並ばなくてよかったの。11時間ぐらいで」

まるで、わたしが彼女のことを愚かだと思っているのではないかと訝(いぶか)しむような口調だ。

「えーーー、マジで行ったんだあ⁉」

みたいな、わたしの最初のリアクションがよくなかったのかもしれない。

エリザベス女王の死後、「The Queue(あの列)」という言葉が流行語になった。ひとつの歴史的な現象として捉えられ、ウィキペディアのページまでできている。「あれはすごかった。7kmも8kmも黙々と人々が並んでいて、マンションの窓から見た列の長さは異様だった」と、テムズ川沿いに住む友人も言っていた。

「あの列」が出現したとき、誰もが思ったことが2つほどある。

まず、いったいなぜ人々は、あれほど女王の棺に別れの挨拶をしたいという気持ちに駆り立てられたのか? そして次に、女王の死去を想定して前から綿密に準備してきたわりには、どうして「あの列」だけはああいう原始的なことになっちゃったのか? という謎だ。ネットで申し込めるチケット制にするとか、くじ引き制にするとか、やり方はほかにもあったはずである。

駐車場で会った知人によれば、彼女たちは番号が書かれたリストバンドをもらってそれを手首に巻き、トイレに行ったり、飲み物を買いに行ったりするとき以外は辛抱強くひたすら並んでいたという。リストバンドだけもらって、数時間だけ家に帰ったり、ロンドンで遊んだりしてまた帰ってくる、みたいな人は一人も見かけなかったそうだ。