
※本記事は『婦人公論』2022年11月号に掲載されたものです
暑い。言いたくないけど、暑いですね。
夏だから当たり前とはいえ、昔はここまで暑くなかったと皆が言う。どうだったろう。
気象用語に「猛暑日」という言葉が登場したのは二〇〇七年だというから、たしかに体温より高い気温になることなんか昔はなかったのだと納得する。しかも、本格的に暑さが厳しくなるのは八月以降という暗黙の了解があったのに、ここ数年は六月ぐらいから始まって、下手をするとその暑さが十月初旬まで続くから、やはり近年は「暑すぎる!」と思うのも無理はない。
でも、私が子供の頃、やはり夏はとんでもなく暑かった気がする。各家庭にはまだエアコンがなかった。昔は冷房とかクーラーとか呼んでいたが、その冷房が普及する以前、部屋を冷やしてくれるのはもっぱら扇風機だった。
扇風機をつけっぱなしにして寝たら身体の水分がすべて抜け、朝にはミイラになって死ぬという噂があり、一晩中つけておくことは御法度だった。当時はタイマーというものもなかったから、寝入る前に自分で止めなければならない。
夜中、あまりの暑さに目が覚めて、もう一度、扇風機をつけるか、あるいは窓を開け、網戸にして再び寝床につく。すると十分も経たぬうち、「プーーーーン」と世にも苛立たしい羽音を鳴らしながら蚊が迫ってくる。
暗闇のなか、目をつむったまま蚊が顔のすぐそばまで近づくのを待ち伏せし、ここぞというタイミングに、「バシッ」と顔面を叩く。薄目を開けて手のひらを確認してみるが、つぶれた蚊の痕跡はなし。
諦めて再び眠りにつくが、まもなく「プーーーーン」。今度こそと思い、顔や身体のあちこちをバッシバッシと叩きまくるが捕まえることはできない。叩いた痛みだけが身体に残り、黒い蚊の死骸は見当たらない。とうとうタオルケットを身体にまきつけて、なるべく蚊に刺されないよう防御態勢に入るが、そうすると暑くて眠れない。
まあ、そうは言いつつ、いつのまにか眠りについたのだろう。しかし蚊の羽音というものは暑さをさらに不快にさせる。