「前回までのあらすじ」
空き家のメンテナンス業に携わる水原孝夫。妻・美沙の実家を遺体安置所に、美沙が通うお茶会会場の洋館を『B級アイドルの館』にと提案する空間リノベーターの石神井晃に、孝夫は異議を唱え熱弁をふるった。一方、孝夫が同期の柳沢に頼まれ取材を受けたフリーライターのマッチは、石神井の事務所にスタッフとして潜り込んでいるが――
「著者プロフィール」
重松清 しげまつ・きよし
1963年岡山県生まれ。99年『ナイフ』で坪田譲治文学賞、同年『エイジ』で山本周五郎賞、2001年『ビタミンF』で直木賞、10年『十字架』で吉川英治文学賞、14年『ゼツメツ少年』で毎日出版文化賞を受賞。近刊に『ひこばえ』『ハレルヤ!』など。20年7月に『ステップ』が映画化された(飯塚健監督・山田孝之主演)
第八景
「空き家の雪隠でなにを叫ぶ(1)」
1
月曜日のお昼前、アポなしで多摩エステートに顔を出したマッチは、当然のように孝夫の隣の席に来て、当然のように椅子に腰かけた。
「忙しそうですね、水原さん」
「事務仕事が溜まってるんだ」
週明けに月末が重なって、外回りをする暇もなく、朝からパソコンと向き合っている。苦手なエクセルでの表計算を、どういう理屈で足し算や引き算や並べ替えやグラフ化ができるのかわからないまま、おっかなびっくりで続けて、気がつくともう昼近くになっていたのだ。
「いま掛けてるのって老眼鏡ですか?」
できればリーディンググラス、せめてシニアグラスと呼んでほしいのだが──その前に、忙しいのがわかっているなら、せめておしゃべりをしないでほしい。
「わたし、水原さんの老眼鏡って初めてかも。ですよね? いつもは近視用ですもんね?」
「新聞を読むときとエクセルを使うときだけだよ、老眼鏡は」──つい律儀に受け答えしてしまう。
あんのじょう気が散って、数字の入力にしくじった。ため息をついてミスを訂正し、まあいい、ちょっと休憩だ、と椅子の背に体を預けた。 「今日は石神井さんの仕事はないのか?」

めがねを近視用に掛け替えて訊くと、「ウチのボス、ゆうべからドバイでーす」と言う。「見習いなのに留守番だから、もう、やることなくて」 暇つぶしに仕事の魔をしないでもらいたいのだが、いきなりドバイが出てきたことには、素直に驚き、気おされた。
UAEのドバイは、世界屈指の急成長を遂げている都市だ。世界中から資金が集まり、さまざまな国際的プロジェクトが進んでいる。石神井晃もその一つに参画しているのだという。
「いまはまだ、プロジェクト全体ではそれほど発言力がないんですけど、今回の出張で成果を出して序列を上げてやるって、張り切ってます」
「たいしたもんだな、やっぱり」
これも素直に認める。仕事のスケールも、上を目指す野心も、自分の若い頃とは比べものにならない。ましてや、いまの、もはや老いつつある自分とは。
「あ、でも──」
マッチは椅子のキャスターを滑らせて、孝夫との距離を詰め、声をひそめて言った。
「石神井さん、金曜日のことを感謝してましたよ。いい勉強になった、大事なことを教えてもらった、って」
そうそうそう、と自分の言葉に小刻みにうなずき、「わたし、その話がしたくて来たんですよ」と続けた。
『みちるの館』で一悶着あったのが金曜日の午後で、ドバイに向けて東京を発ったのが日曜日の夜。その二日とちょっとの間に、石神井晃は新たな空き家再生ビジネスのアイデアをまとめた。
「コンセプトは、鴨長明の『方丈記』です。ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず、って」
断捨離、ミニマリズム、ノマド、マインドフルネス、デトックス、そして「うつせみ」……それらのキーワードから導き出されたのが、鴨長明が暮らした方丈の庵を現代によみがえらせることだった。
「つまり、なんにもない家、です」
石神井はそれを『うつせみの庵』と名付け、一泊から利用できる民泊物件として展開することを考えていた。