撮影:清水朝子

 

 

「身に余る引き止めの言葉をたくさんいただいて、それはとってもありがたかったのですが、欲しかったのは言葉じゃありません。動いてほしかった、私のやっていることに食いついてほしかった──」

芸歴40年、マルチな才能で活躍し一時代を築き上げた山田邦子さんが、今年6月末日で、長年所属していた事務所を辞めて、フリーへと転身した。60歳を目前に新たな一歩を踏み出そうと決めた理由を、『婦人公論』の取材に応じ、同誌8月27日号で詳細に語っている。

今回の船出は「私の定年退職みたいなもの」なのだと語る山田さん。事務所を辞めることを考え始めたのは、デビュー20周年を迎えた40歳の時だ。

「ふと振り返ってみたのです。これまで自分は何をやってきたのか、何かを残せたのか、と。そうしたら、命を削るように仕事をしてきたけれど、スケジュールを消化するのに精一杯で、頭の中に何も残っていなかったことに気づいてしまいました。友達も一人もいませんでした」

それでも続けてきたのは、「育てていただいた恩もありましたし、当然感謝もしていたから。そしてどこかで事務所に対して期待をしていたから」だという。

ところが、仕事のスタッフとの気持ちのズレを感じる出来事が続いた。

「40歳から19年間お稽古を続けている長唄で名取となり、『杵屋勝之邦』を襲名することになりました。今年の4月27、28日に行われた襲名披露公演は、平成最後の歌舞伎座での公演という特別なもの。そこで私は大トリをつとめることになっていたのですが、事務所のスタッフは誰一人として観に来てはくれませんでした。ああ、みんな関心がないんだな。長唄にも、それに19年間打ち込んできた私にも」

そして、極めつきとなった出来事が起こるーー。

それは、デビュー40周年記念公演で決定的となった、スタッフとの“温度差”だった。

「これが、40年かけて私が作り上げてしまった仕事のチームだったんだなと思いました。どこかで何かがずれてしまったのかもしれません」

『婦人公論』8月27日号

「ここへ来て辞める決断をしたのは、時代が『令和』に変わり、私自身が芸能生活40周年を迎えるこの節目で、なんとか状況を変えなくては、と思ったことが大きいですね。もう誰かのせいにするのも嫌ですし、文句を言うぐらいなら、自分でやればいいのよという思いもあり。とうとう来年60歳になりますし、今がちょうどいいタイミングなのかなって」

フリーランスになって仕事が減るのでは、という不安もあった。ところが、事務所からの独立を伝えると、どのプロデューサーも「邦ちゃんと仕事をしているんです」と言って、打ち切りになることはなかったという。

「ピン芸で『友達なんかいらない』と言い放ち、実際、最初の20年間はひとりぼっちで孤独だった私ですが、40歳からの19年間に神様から友達という最大級のプレゼントをいただきました。人間関係を作るには、やはり相手のために時間を使うことが必要ですね。一人で突っ走るよりもよほど豊かな時間があることを、友達に教えてもらいました」

山田邦子さんの第二の人生は今、始まったばかり。これからの活躍が楽しみだ。

8月9日発売の『婦人公論』では、独立後の営業活動での苦労や、乳がんになってからの人生、これから取り組みたい仕事、家族への気持ちなど、山田さんの溢れる思いが掲載されている。

『婦人公論』編集部/『婦人公論』2019年8月27日号