私は物書きなので、人前には立たないし、書いたものだけが作家としてのキャラクターなので生身の自分と作品の自分の境界線みたいなものは意識する前からはっきりとそこにあって、大前提すぎてその違いに戸惑うことってなく、読み手もそれはそうなのではないか……と思っている。けれど生身で仕事をしている舞台の人のような存在はその境界がかなり曖昧なのではないか。リアルだと思っている部分が急にフィクションになったりとか、そもそも二つがグラデーションのようにあり、どんなにフィクションを見ていても奥にあるのはリアルなその人だったり、簡単に分けることが難しいんだなぁとよく思います。「作品のその人だけを応援する」というのがそもそも不可能なことなのかもしれません。
 多分これは本人たちの中でも、舞台から降りている時の自分はどれくらい「作品」なのかって人によって捉え方はバラバラなんだろうと思う。どう見てほしいか・どう魅せたいかは個人差が大きくて、そんな中で本人たちの意図する通りにこちらがきちんと受け止めることはほぼ無理なんじゃないかなぁ……。勝手な解釈を私はしてる気がする……と思いながら、トーク番組だとかを見ます。その人の意図するところがこんな見えないものもなくて、それでもかわいいなぁとか優しいなぁとか思うことはあり、そう思ってしまう自分にずっと慣れないままでいます。
 私は、この人、性格がいい気がする……だから好き!と思うことはほぼなくて、だけど内面に全く興味がないわけでもないし、好きな演者さんが素敵な発言をしているとやっぱり素敵だなぁとより一層思うようになってしまう。あんまそれは関係ないのではないか?とも思いたいのだけれど、でも、どうしても嬉しいんだよなぁ。その人が見せてくれる夢が好きで、舞台という作品が好きで、むしろだからこそ、舞台で好きになった「その人」のことをやはり中身も素敵だなと思いたいという欲があるのかなと思います。