生身の人が舞台に立って、その「リアリティ」の力で夢を完成させていると、見ていて何度も実感している。幻のことがとても好きで、そこに惹かれた私は、その「リアリティ」の源にこそ本当は支えられているって思う。あの存在に向けてならちゃんと「好き」って言える気がした。その人自身を見つめて、幻ではなく現実の言葉として、「好き」と言える予感がしたのです。その人のことを何も知らないけど、でも「その人に」伝えられる「好き」がそこからなら生まれると思えた。そこにこそ、私の言いたい「好き」があるって信じられたのです。
でも別に、その人自身を私が知ることってきっと永遠にない、とも思っている。「あなたが好きだ」と思いながら、でも永遠に遠くて、永遠に違うところにいる。その人のことを知りたいとはどうしても思ってしまうけど、本当の本当に、生身のその人を好きになりたいのではない。たくさんのプロフィールを教えてほしいとも思わない。「かわいい」ってトーク番組を見ていて思ってしまう時、それは大抵、その人があまりにも素に見えたり、心の壁がなくて肩の力が抜けていて、とてもリラックスして見える時。その人の「らしさ」がそのまま出ているように見えて、それが愛おしく思えた時だ。それは、その愛らしさで「好き」になるというより、そこに生身の人がいることをやっぱり信じていいのだと思えてホッとするからだと思う。私が好きなのは舞台の上にいるその人で、どこまでもそれは変わらない。でも「好き」と思うたび、その「好き」が向かう一人の人がいて、その生身の人のほうをちゃんと私は見ているのか、わからないなって不安になるから。生身の人を知って、その人のことを幻より好きになりたい、とは少しも思わないけど、でも、「あなたが好きです」と思う。幻だけを見て、その人自身がいることを忘れるのは嫌だ、って思う。舞台を、幻を、作っているのはその人自身だから。なんにも個人的なことは公にしてくれなくていいけれど。何を思って何を考えているかなんて教えてほしいなんて言わないし、むしろ言いたくないことは全部言わずに済むような世界であってほしいと思う。「あなたが好き」は私にとってはどこまでも、「舞台が好き」と同義なのだ。舞台は本当は幻だけのものではないです、そこに人が存在して、毎日幕が上がっていて。「現実」そのものが作り出す幻だからこそ、人はその幻に惹かれます。生身の人に恋をしにきたわけじゃない。舞台を私は愛している。惹かれて、好きになって、そこに裏打ちされた現実ごと「好き」だと、その現実の内実も、「あなた」のことも、何も知らないのに思えることが私は嬉しい。あなたが「舞台」というものそのものになっている瞬間があるっていうことだから。
イラスト:
北澤平祐
出典=webオリジナル
最果タヒ
詩人
1986年生まれ。中原中也賞や現代詩花椿賞を受賞。主な詩集に『グッドモーニング』『死んでしまう系のぼくらに』『不死身のつもりの流れ星』。雪組『ボイルド・ドイル・オンザ・トイル・トレイル/FROZEN HOLIDAY』千秋楽おめでとうございました!ロゼット(公演グッズ)に生まれて初めてデコをしました。
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