金井美恵子(かない・みえこ)
小説家。1947年、群馬県高崎市生まれ。67年、「愛の生活」でデビュー、同作品で現代詩手帖賞受賞。著書に『岸辺のない海』、『プラトン的恋愛』(泉鏡花賞)、『文章教室』、『タマや』(女流文学賞)、『カストロの尻』(芸術選奨文部科学大臣賞)、金井久美子氏との共著『たのしい暮しの断片(かけら)』『シロかクロか、どちらにしてもトラ柄ではない』『鼎談集 金井姉妹のマッド・ティーパーティーへようこそ』など多数。2023年3月には、中公文庫から『迷い猫あずかってます』を刊行。
無知・無教養は読書の敵
50歳をすぎて25年も生きると、体力も気力もあの頃に比べて、すっかり衰えたなあというのが実感なのだが、しかし、”年を取る”ということはどういうことなのかと考える契機を読書によって得たという初めての実感を手に入れることが出来るのは50代かもしれない。なにしろ、50代はまだ若いのだ。
さて、中村光夫の『今はむかし ある文学的回想』とその続篇『文学回想 憂しと見し世』の2冊が中公文庫で上梓された時(1981年、82年)に入手したものの、いつも途中で読み進まなくなってしまったのは、専ら若さから来る無知のせいだったろう。なんと言っても、無知・無教養は読書の敵と言わなくてはなるまいし、少しでもそのあたりを克服しようとするいろいろな、いつの間にかそれ自体が快楽になってしまうような努力が、読書の豊饒な楽しみを約束してくれる。
中村光夫が63歳の時に書いた『文学回想 憂しと見し世』は、戦時下、中村が編集者として働くことになった筑摩書房の創立者・古田晁が、平塚の火葬場で「濃くなったり、淡くなったりする煙」になる情景から書きはじめられるのだが、何度読みかえしても、本当に素晴しい書き出しだと思うし、この210ページ程の回想記の”書き方”の特質を見事に示していると思う。
文庫の解説を書いている蓮實重彦は、中村光夫の回想記の文体の言いしれぬ魅力を見事に分析しているので、読者はもしこの文庫を手に入れることが出来たら、じっくり味読してほしい。私たちに学ぶ気持があれば、様々なことを中村光夫と蓮實重彦から学ぶことが出来るはずである。