イギリス在住のブレイディみかこさんが『婦人公論』で連載している好評エッセイ「転がる珠玉のように」。Webオリジナルでお送りする34.5回は「迷惑とコスパとタイパ」。英国でストライキは、もはや生活の一部になっている。日本でもストライキが起こり始めているが、人々の反応が英国とは大きく違っているようで――

英国ではストが生活の一部に

最近、日本のラジオに出るときも、対談するときも英国のストライキの話ばかりしている。もはや生活の一部になっているので、「いま、そちらはどんな感じですか?」と聞かれたら、ストの話をしないわけにはいかないからだ。

息子のカレッジの教員もストを打っているので昨日も一昨日も休みになったし、先日、所要でロンドンに出かけたときも地下鉄がストで動いていなかった。『ガーディアン』という新聞のサイトには、ストライキ・カレンダーなるものが出現していて、どの日にどの業種の人々がストを打っているのか一目でわかるようになっている。だから、市井の人間はそれを見て生活の計画を立てる。たとえば、郵便局員がストを打つ日がわかれば郵便物は早めに出すようにするし、鉄道のストの日は遠出の予定は外す。

慣れてくればそんなものかと思うようになるというか、それほど苦にもならないもので、公共交通機関のストライキなども、コロナ禍以降はハイブリッド・ワークとかいってオフィス勤務と自宅勤務を半々ぐらいにしている人たちも多いから阿鼻叫喚の惨事にはなっていない。「ストなら自宅で仕事するか」ぐらいの感じである。

自宅で勤務できないのはいわゆるキー・ワーカー(米国英語ではエッセンシャル・ワーカー)の人々だが、いまストを打っているのはそのキー・ワーカーの人々。なので、彼らは自分たちがストを行っている日は職場に行く必要はなかったり、別の職種の人たちがストを行ったとしても労働争議で闘っている末端労働者どうしの連帯感があるので、「ふざけんな、電車を走らせろ」と怒ったりしない。

キー・ワーカーの人たちはロックダウン中、オフィスワーカーたちが家でリモートワークしていたときに、感染の危機にさらされながら外に出て業務をこなし、ヒーローとして崇められた人々だ。だから、こうした人たちが物価上昇に見合う賃上げを求めて闘争をしているとき、一般の人々も「困窮してでも働け」とは言えない。自分の生活に多少の支障があってもしかたがないと諦めるのである。ストを支援するということは、不都合を受け入れるということなのだ。