著者が専業作家とは限らなかった。私は人気女優やタレントも担当していたので、そうした人が著者の場合は、サイン会にテレビカメラを入れたりして、用事はますます増えた。このようなイベントをしょっちゅうやっていた私はもう自分が何屋なんだかわからなくなっていた。〈著者ファースト〉が行き過ぎて、自分自身が女優のようになってしまい、なんらかのわがままを言ってメディアの方を怒らせてしまったこともある。本誌の編集長だったM氏など、まさにその被害に遭われたお一人であり、十数年後、『婦人公論』にこうして書かせていただくなど、思いがけない巡り合わせである。当時の話になると赤面ものなのだが、とにかく私も必死だった。

一作ごとが真剣勝負、それが売れなければ次がない……次がないことはないのだが、売れることをボスはもっとも喜んだ。すなわちそれが社員の喜び。

冒頭に戻る。だから〈私は幸せの絶頂にいた〉のであって、決してヒト・モノ・おカネ――が私のところへ集まってきたから幸せの絶頂だったわけではなかったのである。

おそらく私の株価は、本人の知らぬうちに値を上げていただろう。それが実体に見あったものだったのか、それともバブルだったのか? いまとなっては確かめようもないが、ずっと右肩上がりでいけるわけがない。ところが私への期待値は上昇を続け、会社にリターンをもたらす社員として、一時代を過ごすことになる。ミレニアムを挟んで、その状況はしばらく続いた。そして数年がたって、株価上昇を描くグラフの棒線がガクンと一気に落ちるかのように、落ちた。じっさいに、私自身が落ちた。階段から。ビルの螺旋階段で足を滑らせ転落、左足首を粉砕するという大骨折をしたのだ。

あの日は、つよい雨が降っていた。

私は後輩編集者と、会食のため外へ出た。

部下の作った美容本がベストセラーとなり、その著者を接待することになっていたのだ。著者さんが「ホストクラブへ行ってみたい」と言ったので、「よっしゃ、行きましょう」となった。

私は知り合いのホストに「今夜、仕事で行くからよろしく」と連絡を入れ、ボスには「今夜、お金を使います」と事前に承諾も取って、準備万端整えて出かけた。

ホストクラブは新宿・歌舞伎町にあり、会社からそこへ行く明治通り沿いのレストランで、まず食事をした。私の親しい仕事関係者も呼んで、女性ばかりでワイワイと盛り上がり、さあ、いざホストクラブへ行くわよ~! と勢いよく店を出ようとしたとき、雨がつよまっていることを知った私はとっさに、例の〈著者ファースト〉行動に出る。

「すぐタクシーを捕まえなきゃ!」

雨がひどいので、無線も捕まらないだろうと思ったのだ。

店は建物の2階にあり、出入り口の扉を開けるとすぐに外階段で下へ、通りに出ることができた。

私は、上階から弾けるように駆け下りた――その途中でツルッと。

「……?」

足を踏み外し、正座するような恰好で地面へ滑り落ちた。

「足」と「脚」が、離れた。

想像を絶する激痛が、私を襲った。