私は、歩けなくなった。

仕事場の席は建物の2階だったが、1階に臨時の席を設けてもらい、車椅子を持ち込んで、そこでしばらく過ごすことになった。

ちょっとした段差も、身体にこたえた。

身体不自由という初体験は、私にさまざまな発見をもたらしてくれたが、機動力は当然ながら落ち、編集者としての私のパワーも、落ちていったと思う。私の幸せがバブルだったとすれば、螺旋階段からの転落は、それが弾けた瞬間だった。

大切にしていたある著者との関係が、それを機に、切れた。

あの時点で、私は会社をやめていてもおかしくなかった。

幸せの絶頂期があったのだから、もうじゅうぶんだったかもしれず、そこで身を引けばよかったとも考えられる。

それでも退社を選ばなかったのは、歩けない時期を周囲の人に支えられたからだ。

入院中から会社の仲間が入れ代わり立ち代わり見舞いに来てくれ、ゲラ(書籍になる前段階の校正紙の束)を片手に病室で打ち合わせをした。

ひと月にわたる入院後、会社に出れば、お弁当を買いに行ってくれる同僚や後輩、来客で応接室へ行くときどうしても昇らなければならない階段でおぶってくれた人もいて、ほんとうに世話になった。

もともと会社の人たちを好きだったが、もっと好きになってしまったというわけだった。
彼らのことを勝手に家族のように思い、いっそう「ここにいたい」との気持ちを、つよくした。

執着すると、ロクなことがない。

私のなかで会社への愛が増す一方で、会社は新しい方向へ舵を切っていた。
〈株式上場〉である。

すでにそのためのブレーンが銀行からやってきて、社内で仕事を始めていた。

私がベストセラー部隊として超多忙な日々を送り、幸せバブル絶頂期を迎えていたのと並行して、その方針は芽生え、グングン育っていたのだろう。ちょうどよのなかはミレニアムを挟んでITバブルにわいていた。気づいたときにはもう、会社はそれまでとはまったく違う体質へと、新陳代謝していた。

まさに世紀が変わるほどの大転換期に、入っていたのだった。
つづく