そう、会社ではしょっちゅう誰かがボスに怒られていた。

怒られるときはコテンパンにやられる。太刀打ちできない。

自分のときもあるが、自分でないときもいつも誰かが怒られていた。持ちまわりのようなものだった。

「きょうは私じゃなくてよかった、しめしめ」などというふうに思っていた人は、たぶんいない。自分が怒られるのはいやだが、他の人が怒られているのを見たり聞いたりするのはもっといや。誰かが怒られている時間には全員が、ああたまらない、早くこの時間が終わってほしいと願いながら、嵐が過ぎ去るのをじっと待った。

いまはどうだかわからないが、ボスが怒らなくなったらそれはそれで心配だ。ボスのパワーは怒りでキープされているようなところが、昔はあった。

なにがもっともボスを怒らせるかといえば、〈気の利かない言動〉だったと私は思う。

ようは「おれの気持ちをわかれ」ということだ。

「おれの言っていることがわかるか?」

と、ボスはよく言っていた。その質問に対して私たちが「わかる」と言っても「わからない」と言っても、私たちは怒られた。

ボスに怒られて気持ちが堕ちてへこんだときは雲隠れするか、あるいはそのまんま会社に居るか、どっちかになるのだが、私は後者でボスの前へすぐ出て行って、さらに怒られたりしていた。

ルリさんに話を戻そう。

――時代もありますね? いまだったらコンプライアンスだなんだで許されないのでしょうが、我々が新人だった頃の業界ってまだまだ「バカヤロー、コノヤロー」が通用していて。男女関係なく、怒鳴られ、泣かされ、しごかれました。

私の場合はボスが絶対的な存在でしたから、ひたすらそこに向き合うという、わかりやすさはありました。逆にルリさんの会社のような大きな組織には、プチボスがたくさんいたのかも?

「半分セクハラもありましたし、セクハラが豹変したパワハラにも遭ったし。若い頃は毎日泣いていました。同期の女の子と、『私はいつも屋上で泣いてる。ぜったいがんばろうね』って励まし合って。いまから思えば笑い話だけど、ほんとうに必死だった」