――ルリさんはメディアのお仕事に就く前、大学時代にはいろんなアルバイトをなさっていたそうですね。

「ティッシュ配りからコンパニオン、あやしいクラブのホステスまで、なんでもやりました。家庭教師で子どもたちを教えるし、モーターショーのナレーターで、メーカーのおじさまたちとクルマのスペックについて解説もする。もう何種類も人生を生きられる! みたいな。すべてにチャンスがあると思っていましたし、朝から晩まで5倍人生楽しめると思って生きていましたね」

――その体験が、番組作りという、のちのお仕事に生かされるとも知らずに。

「ええ、これが次に生かされる、とかはぜんぜん考えずに。稼いだお金で海外旅行へ行く、好きなミュージカルを見る、友達とディスコへ行く……そうそう、マハラジャやラジオシティですよ(笑)」

――で、そんな楽しい学生時代が終わり、就職が決まり……。

「はい。もともとドラマを作りたかったので、テレビ局以外は受けませんでした。ところが、入社してみたら最初はまったく希望していない部署に配属されて。制作部には変わりないのですが、ニュースや生活情報を扱うところでした。トレンディドラマ全盛のバブル期に女子大生時代を送っていた私は、なんでも〈願えば叶うもの〉だと思っていたので、ああいったドラマを私は作れないんだ……とすごくショックを受けて。

情報番組のAD(アシスタントディレクター)はもう毎晩徹夜があたりまえの激務、ほんといまじゃ考えられないほどの泥沼生活で……もう逆境を面白がるしかないっていう。なんで希望の部署に行けなかったんだろうって初めは思ったけれど、やっていくうち自分の甘さもわかってきた。だったらいまいる場所でがんばろうと決めて。職種はどうあれ、とにかくできるだけ〈私がいないと困る〉っていう状況を現場に作るんだって。そうしないと目立たない。そうしないと自分の好きなことできない。そうしないと悔しい。

そうこうするうち、30前くらいでプロデューサーに昇格しました。ほんとうにたまたま、いい先輩に巡り合えて。その人が、『きみはプロデューサー向きだ』って言ってくれたのです。〈発信型〉だったと自分でも思います。とにかくぜんぶ自分で作りたい。企画も制作もぜんぶやりたい」

――私も、私でないといや、でした。でもそれが、折れるときがあるんですよね。(笑)

「折れるとき、いっぱい(笑)」

――同期の人とかと、社内での競争は激しかったのですか?

「成績(視聴率)で振り落とされるとか、ライバルとの競争心を煽られることはないんですけれども、クリエイティブなことを何ひとつ発信できなければ制作者としてカッコ悪い、それはいやだ、っていう自分の勝手な……いまから思うとお恥ずかしいのですが、そういう気持ちが強かったですね。バブル期のイケイケ女子大生だった頃のプライド、そのまんまで」
つづく