養老孟司(ようろうたけし)
1937年鎌倉市生まれ。東京大学医学部を卒業後、解剖学教室に入る。東京大学大学院医学系研究科基礎医学専攻博士課程を修了。助手・助教授を経て81年より東京大学医学部教授、95年退官。96年から2003年まで北里大学教授。東京大学名誉教授。89年『からだの見方』でサントリー学芸賞、2003年『バカの壁』で毎日出版文化賞特別賞を受賞。ほかに『唯脳論』『遺言。』『ヒトの壁』『子どもが心配』『ものがわかるということ』など著書多数。
学生時代から気にかかっていた濁った川の謎
ここ数年で読んだ本のなかで、とくに印象深い一冊です。舞台はアメリカのノースダコタ州。大学で農業経済学と畜産学を学んだ著者は、卒業後じっさいに農業に従事するも、4年連続で凶作に見舞われ、それまでのやり方の転換を迫られる。試行錯誤の末、「不耕起」、つまり土を耕さずなるべく自然に近い状態にし、土の中の生態系を回復させる手法に行き着く。この本にはその過程が描かれています。
「自然農法」というとストイックな理想論になりがちというイメージがありますが、この本の良いところは、信念などでなく、経済的な成功を目標にしている点。近所の農家とわたりあって採算が取れるようにし、子や孫の代にいかに引き継いでいけるかを現実的に考えている。失敗談から始まるのもいい。そういう点でアメリカらしい成功物語でもあります。
農業には、環境問題との関連から長年関心を持っていました。もう20年以上前でしょうか、推理小説を読んでいたら、アメリカ中西部のトウモロコシ畑で表土が流れてしまうという話が出てきた。土地の持ち主はマフィアで、その利害をめぐって事件が起こるのですが、推理小説に書かれるくらいアメリカの農地問題は深刻なんだなと思った。じっさい乾燥地帯では地下の「化石水」をくみ上げてスプリンクラーで撒いているんですが、これは石油と同じでいずれなくなってしまう。そんなやり方で農業がいつまでも続けられるわけがない。米国産トウモロコシは日本の家畜の飼料にもなるわけですから、他人事ではないのです。
この本の口絵に、水が澄んだ川の写真があります。川のこともずっと気にかかっていた。旅をしていると世界中の川が泥色なんです。高校生の頃だったか、屋久島はあれだけ雨が多いのに川が濁らないと聞いて、では逆に濁るのはなぜなのかと考えてきた。それは人が地面をいじるからですね。仕方がないことなのかと思ってきたけれど、この本を読んで、土に構造があって水がその塊の間を流れる、そういう状況を保持しておけば泥が溶けて流れることはないのだなと分かりました。
こうしてみると、だいたい僕の興味の対象は昔から変わっていない。