イラスト:飯田淳

ボス社をやめた私は、ほかの出版社で
編集業務を請け負うことに。
ボスの独裁国家から離れて自由は得たが、それは
会社という場所に守られていたことに気づく日々でもあった

第29回 アリとライオン

かつてのボスは、自分の会社をアリだと言った。

「我々は小さなアリである」と。

大手出版社のことはライオンやゾウにたとえていた。会社がまだ小規模であった頃、創業まもなく急成長した会社がほめられるとき、社長としての謙遜で言っていたものと思われる。今回は、その話のつづきである。

退社のアレコレでめっぽう傷ついていた私は、「編集者はもうやらない」と決めていた。それに加えて、ボスへのスジを勝手に通していた。ボス社をやめたらば、二度とどこかの会社には入らない、ボス以外のボスのもとで働く気などさらさらない、と。

べつにボスから頼まれたわけでもなかったのに大まじめにそう思っていた。そんな私にお声をかけてくださったいくつかの出版社は、ライオンやゾウの会社だった。

まずライオン社を訪問すると、お会いする相手は、何人もになった。大きい出版社には編集部がいくつもあって、やっていることが別々であるからだ。

ある部署の方は、作家たちと付き合って原稿を取れる文芸編集者を求めており、また別の部署では、企画を考えて取材をして本を作れるノンフィクション・実用書編集者を、またある方は取材ライティングを中心に原稿を書ける人を欲しがっていた。

私はどれもできるので、「なんでもいいです」と誰に対しても調子よく応えていたら、ライオンのある人にぴしゃりと言われた。

「ミルコさんは本を作りたいのですか? 本を書きたいのですか?」

この発言に、私はハッとする。

「作るのか書くのか、もう(フリーになった)早い段階で、どっちかに決めたほうがいいですよ」

そして、言ってくれた。

「もしも書かれるのであれば、ちゃんとバックアップします」

私はこの件を思い出すたび、こうべをたれる。

それまで同業他社であったある意味ライバル、しかもいっときはベストセラー編集者と呼ばれ傲慢であったかもしれない私と誠実に向き合い、叱ってくれるなんてさすがライオン、王者の余裕。いや、やっぱりどんな会社にあってもけっきょくは個人の魅力、本人に自信がなければそんなこと言わない。

もう一つの訪問先、ゾウ社はすぐに仕事をくれた。さしあたり書籍編集の仕事をお引き受けしたので、たびたび会社に出入りすることになった。

ゾウ社の建物は巨大だった。玄関も広い。地下鉄の出口と会社の玄関が直結しており、いそぐ人の往来を、立派な警備員さんがつねに見張っていた。

正面の受付にはきれいなお姉さんが、小さな顔をちょこんと出してすわっている。一面ガラス張りの壁からふんだんに入る外光が、よく磨かれた床に反射して眩しい。エレベーターは何基にも分かれ、高層階へ行くには別のそれに乗らなければならなかったりする。

そんな会社の受付では、自分がどこの誰であるかを名乗るよう言われるが、私はもうどこの人でもないので、苗字だけ言う。するとお姉さんは紅く彩られた口角を上げて、「どちらのヤマグチ様でしょう?」ときいてくる。会社というのは個人を見下しているよなとそのたびに感じて、「どこのでもないヤマグチだけど」と憎まれ口をたたきたくなる。