「どこかの誰々」であったなら丁重に扱われたかもしれないところ、「どこのでもない誰々」となったために放っておかれることにも、やがて慣れる。

「どこかの誰々」という存在ほど儚く脆いものはない、ことも知る。「どこかの誰々」でなくなった瞬間から、人はザザーッと去ってゆくのだ。

もっとも「どこか」そのものが、なくなってしまうことだってある。

私もかつて「どこか」を作ったひとりであったことを、遠い昔の出来事のように感じる。

「どこか」が「どこか」として認知されるプロセスに貢献し、「どこか」を愛した。

当時の私にとって「どこか」をやめることは、ほぼ自分をやめることだったが、逆だった。

「どこか」から離れることで、私は自分自身に還っていく。

こうして2009年春、私は独立した。

その3月に日経平均株価の終値が7054円98銭となり、バブル崩壊後最安値を更新。社会に出たのがバブル絶頂期(1989年12月末に3万8915円の史上最高値を記録)であることを思うと、感慨深い。

株価の最高値から最安値へ――行きはヨイヨイ、帰りはコワイ? 入るときは最高で、出るときは最低という、会社員人生の宿命に沿った景気を見せつけられたようだった。

海の向こうでは、年の初めにオバマ氏が世界に〈Change〉を呼びかけて大統領になっていた。「Yes, we can!」の大合唱。ワールドニュースでその掛け声を聴きながら、私も〈Change〉の希望に燃える。

「おお、フリーダム!」

ボスの独裁国家から脱出した私は、自由を噛みしめようとしていた。

民主制では〈民〉である〈私〉が主役なはず。ボス独裁政権下を抜け出て、これからやってくるだろう明るい未来に私は想いを馳せていた――のも束の間、ほどなくしてせっかくいただいたフリー編集の仕事を、私は続けられなくなってしまう。お預かりしたのはいくつかの文芸書籍やテレビ局の広報出版物などであったが、どれも途中で手放すことに……。