退社からまもなく、乳ガンの宣告を正式に受けた。桜が満開だった。

その日以降の私は、サブプライムショックで発症した乳ガンと闘わねばならなくなった。

本格的な治療に入るにつれ、自分の身体をコテンパンに痛めつけることになると同時に、会社をやめるとどうなるか、すなわち〈会社とは何か?〉をとことん突き詰めて考えずにはおれない日々を、過ごすことになった。

自分のやるべきことの中身だけが変わり、あとは変わらず、ずっと会社のみんなと交わりながら生きていけるものだと思っていたが、独立とはそんな甘いものではなかった。

誰からも連絡のない日が続く。

誰も私に用がない。これが退社後の現実だということを、私は受け入れていかなければならなかった。けれども、なかなか受け入れられなかった。

会社に行かない生活にはすぐ慣れるのに、誰からも連絡のない生活には慣れない。

これまで会社という場所に守られて、長いあいだ私はのびのび仕事をやってこられた。

なんの迷いもなく、まっしぐらに〈信じる力〉を発揮していた時代が、遠のいていく。

私が信じた書き手や作品たちは、世に出て行ったのち〈人気作家〉や〈ベストセラー〉と呼ばれるかたちで私のところに戻ってき、私にさまざまなご褒美をもたらしてくれたが、そうした人びとも本も何もかも、私がいてもいなくても関係ないのだと拗ねたくなった。

事実、私がいなくなっても作家は書いたし、本は出た。

会社に行っていた頃はテレビの前にゆっくり座ることも、のんびり新聞を開くこともなかったので、ガンになって初めてよのなかのニュースを私はじっくりと見た。

リーマンショックの余波は続いており、日本の三大銀行(三菱UFJ、みずほ、三井住友の各フィナンシャル・グループ)も、2009年3月期決算では大幅赤字に追い込まれた。

アメリカをはじめ各国の銀行は、「公的資金」によって救済された。日本人の私たちも20年前の〈バブル崩壊〉で経験済みの「公的資金」投入である。「公的」という言葉がまぎらわしいが、救済資金は私たちのサイフから出ていることを忘れてはならない。ようは国民の税金を使っての救済であり、当時の日本では数十兆円もの国民の税金が使われたと言われている。

貸出先企業の経営悪化で不良債権が増加するなか、円高も進んだ。ドルがめっきり信用を失くしたために円の人気が高まって、円が買われたのである。