円高は家電業界など日本を代表する輸出企業の経営を圧迫する。これまで高い技術力で人気を博してきた日本メーカーというのは、それこそ出版業界でいうライオンやゾウどころではない大企業ぞろい。円高が続いたことによって価格競争力を失った彼らの世界市場での地位は、中国や韓国のライバルたちに取って代わられてしまう。けして日本企業がサボっていたわけではなかったのだと思いたいが、大きな流れには逆らえない。

円高だからといって現地生産に切り替えたところで、技術の流出や雇用の問題も出てくる。そうしたときに、やはりものを言うのが政治の力。賢い金融政策で、円高のダメージを最小限にとどめたいところ、09年8月30日の総選挙で民主党が政権を取った。

国民の期待に応えようとした新政権だったが、政策は迷走、タイミングよく金融緩和がなされることもなく円高は放置された。その後自民党が政権を取り返したものの、かつて世界トップを誇ってきた日本企業は苦境に立たされたまま、デフレも解消せず、現在に至る。

「リーマンショックなんて、なかったことのよう」

これは会社をやめて闘病生活に入った私――毎日を静かに暮らしていた私の、率直な感想だった。

なかったことにしていいわけがない。それなのに、人も世も変わらない。よのなかを悪くしようと思ってやっている人なんていないはずだが、よのなかがちっともよくならないのはどうしたわけか。

元気で働いていたときには見えなかったものが見え、いままで気にならなかったことが気になり、〈なぜ? なに?〉のギモンが生まれ続けて止まらない。そのギモンを次から次へと追いかけるうちに、いろんな本を読んでしまう。時間もたっぷりあるので、現役編集者時代をはるかに上回る本の山に、私はうずもれていった。

アリサイズの出版社・ミシマさんのところで闘病記を書かせてもらうことになったのは、乳ガン患部の切除手術が終わって、放射線治療に入る頃だったと思う。会社をやめて、ガンになって、変わりゆく自分――を私はつぶさに観察していたので、それについて書く機会をいただけたことは幸運だった。

ライオンさんの助言に対して、「こっちで頑張ることにしました!」と決意表明するまでもなく、病んだ私の手もとには、「書く」ことが残った。

(つづく)