前号に書いたとおり、勝手にボスへのスジを通していた私に、再就職する気はなかった。ガン治療も受けねばならなかったので、ハローワークへ行ったのは名目上失業保険を受け取るためである。

まさか自分がハローワークのお世話になるなど、思ってもみなかった。

20年前、ボス・チームの一員になって、「社員だから」と言われて以降、ボスの独立、会社の創業についていき、そこで編集者としての自分のキャリアも積み重ねてきた。私は、ボスやロビンたちと本を作る会社でずっと生きていくつもりだったのである。ところが、ハローワークで番号札を握りしめ、パイプ椅子に座っている。そのうえ乳ガン患者。手術、放射線、抗ガン剤、ホルモン剤、の〈ガン治療フルコース〉をこれから受ける。そんなことになってしまった自分が、すがすがしくさえあった。

本を片手にパイプ椅子に腰かけて、長い時間順番待ちをしても、私の名前はなかなか呼ばれない。待合室は私と同じくリーマンショックのあの時期に、会社から切られたと思われる人びとでいっぱいだった。一堂に会した失業者は、誰もが同じ色をしているように見えた。しかし一見そうでも、本当は一人ひとり、別々のカラーをもっているはずだ。なのに、それがわからなくなっている。ハローワークはそんな場所だった。

私はテレビで見た「年越し派遣村」を思い出した。じっさいあの待合室には、派遣村で年を越した方もおられたのかもしれない。

2008年12月末日から年明けまで、東京・日比谷公園内に開設された「年越し派遣村」。そこにはリーマンショックに端を発した不況で職を追われ、真冬に住まいを失くした人たちが集まった。

村では温かい食事が振る舞われた。村を開設したのは〈反貧困〉を掲げていた活動家の方々だ。会社に切られても、人は生きなければならない。だから「年越し派遣村」ができたことで貧困問題にスポットライトがあたったことはよかったと思うが、それよりもっと前からハローワークはあった。

失業者は派遣村が注目されるずっと前から、この場所に集まり、自分の番号が呼ばれるのをじっと黙って待っていた。自ら当事者になってはじめて、その場所で何が起こっているかを学ぶ。闘病のための通院も、これに似ていた。