父の本棚に詰め込まれていたのは

絨毯が次々と山形へ行っている間に、代わりと言っては何だが、ミシンがやってきた。そういえば、ミシンの安売り広告がテーブルの上にあったっけ……。母はいつの間にか、宣伝されると何にでも飛びつく「カモ」になっていたのだ。

その少し前、写真のDPEの店で勧められて、Tシャツを作っていた。胸のところに四角く画像がプリントされていて、ものすごく趣味が悪い。母はポロシャツは買うけれど、Tシャツは嫌いなはずだった。写真のプリントに使われているべかべかした塗料が嫌なかんじだったし、シャツそのものも質が悪い。しかも男物のMサイズはいくらなんでも大きすぎる。

濃い水色の変なプリントTシャツを私にもくれようとしたので、私は「絶対にいらない」と言った。それなのに、また母は別のシャツを注文したのだった。

ミシンも広告を見ただけで、ただほしくなったのだろう。そう思ったけれど一応聞いてみると、「前のが壊れたのよ」と言う。「ふうん、よく置くところがあったね」と言うと、嬉しそうに襖を開けた。

居間の隣は、六畳の和室である。そこはずっと父の部屋だった。父は几帳面で物欲があまりない人だった。机、本棚、洋服笥、肌着用の笥とシングルベッド。いつもきっちり整理整頓されていて、机の上に物が載っているということは、絶対になかった。

母が嬉しそうに襖を開けた時に見えた机の上に、新しいミシンは鎮座していた。ミシン以外にも物で溢れ、机の美しい木肌はもはやどこにも見えない。

さらに本棚には、トイレットペーパーが突っ込まれていた。かつては父の本や書類が整然と並んでいた場所なのに。父が亡くなったばかりの頃、私は父が遺したものがないか、まずその本棚を探したものだ。背中に「重要」と黒マジックの太字で書かれたファイルがあって、中には父の死後やるべきことがすべて書かれていた。大きな読みやすい字で、連絡先から何から。

母を病院へ連れて行ってみると、父の部屋に何でもどんどんほうり込んであまりに汚くしてしまうのも、どうしても物が捨てられないのも、片付けられないのも、脳の病気であることがわかった。普通の認知症のテストでは良い点をとってしまう、そういうタイプの認知症もあったのだ。

父が「ママはわしの3倍食べる」と言っていた食べ物への執着は、このごろさらにひどくなっている。動物のように口を皿に近付けて食べる。目つきも悪くなった。嫌なことを言われると、野生動物のように目がぎろりと光る。それは、以前に父がぽろっと「赤坂のママが」と言ったのを聞いて、きらりんと光った、あの時の母の目と同じなのであった。
 


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