2023年、中公文庫は創刊50周年を迎えました。その記念企画として、本連載では「50歳からのおすすめ本」を著名人の方に伺っていきます。「人生100年時代」において、50歳は折り返し地点。中公文庫も、次の50年へ――。50歳からの新たなスタートを支え、生き方のヒントをくれる一冊とは? 第47回は、美術家の横尾忠則さんにうかがいます。

横尾忠則(よこお・ただのり)
美術家。1936年、兵庫県生まれ。72年にニューヨーク近代美術館で個展。その後もパリ、ヴェネツィア、サンパウロなど各国のビエンナーレに出品し、パリのカルティエ財団現代美術館など世界各国の美術館で個展を開催。国際的に高い評価を得ている。2012年神戸市に横尾忠則現代美術館、13年香川県に豊島横尾館開館。1995年毎日芸術賞、2001年紫綬褒章、11年旭日小綬章、朝日賞、15年高松宮殿下記念世界文化賞、令和2年度東京都名誉都民、23年日本芸術院会員。著書に小説『ぶるうらんど』(泉鏡花文学賞)、『言葉を離れる』(講談社エッセイ賞)、小説『原郷の森』ほか多数。
本年9月12日より東京国立博物館にて「横尾忠則 寒山百得」展が開催される(12月3日まで)
写真撮影:横浪修

 

運命のいたずら

45歳の時、僕は突然グラフィックデザイナーから画家に転向してしまいました。魔が差したとしか考えられない突発的な内なる未知の見えない力によって洗脳されたとしかいえないような出来事でした。すんなり画家になったのではなく、何んだか運命のいたずらによってもて遊ばれているような気さえしたのですが、後に引き返すことのできない力が働いていました。そんなモヤモヤした時期に、どこかの出版社から送られてきたダンテの『神曲』を思わず開いたのです。魅力的な挿絵が沢山入っていたので挿絵に惹かれて、読み始めたら、面白くて止められなくなってしまいました。

『神曲』は長編叙事詩で、ダンテの描く死後の世界の旅行記で冥界の案内人ウェルギリウスによって地獄、煉獄、天国を生きたままで彷徨するという、想像を絶する霊界訪問記です。以前から死後の世界に興味のあった僕はエマヌエル・スウェーデンボルグの『霊界日記』などを読んでいたので、この難解だといわれていた『神曲』が実にすんなりと読めたのです。『神曲』は世界文学の最高峰といわれているそうですが、僕には読み出したら止められないほど次々と展開される死後の世界の面白さにまるで冒険小説を読んでいるようにすらすらと読めたのです。

『神曲』は、僕には夢を見ているようで、肉体から抜け出した霊魂のような存在になって、自由自在に霊界をウェルギリウスの案内に導かれながら、まるで自分が体験しているような気持ちになるのです。地獄で苦しむ死者の目を覆うような恐しい光景を真近に目撃しながら最下層の奈落の底の地獄から、脱出して、次の煉獄に導かれるのですが、ここで初めて空に星の光を見て、自分自身がやれやれと思うのです。

煉獄は高慢、嫉妬、怒り、怠惰、貪欲、大食らい、色欲という、いわゆる煩悩の罪に悩み苦しむ、まあ、われわれの現世そのままを生き写しにした世界へと入っていくのですが現世と相似形になっています。この煉獄界は現世の罪を浄めるところで、誰もが行く世界らしく、ここで浄化された魂の人々の世界をダンテは見せられるのです。