本棚の本は、日本人作家は原則あいうえお順に。ただ、“新本格”系は「あ行」の作家が異常に多いなど、棚にかなりの偏りがあるのだとか。ちなみに、飛びぬけて冊数が多い赤川次郎さんの本は、別にコーナーを設けてある。書庫は写真の右奥にも続く(撮影:本社写真部)
SF作家の新井素子さんは、祖父と父母が出版社勤務で、幼少時からたくさんの本に囲まれて育ったそう。「本は絶対に捨てない」のが当たりまえの生活に、大量のぬいぐるみコレクションが加わって――。いったいどんな暮らし方をしているのでしょうか。(構成=上田恵子 撮影=本社写真部)

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◆いつも本が身近にあった

私は現在、およそ3万冊の蔵書と、4000匹以上のぬいぐるみ――私は彼らのことを“ぬい”と呼んでいます―― に囲まれて暮らしています。正直、どちらに関しても正確な数字が把握できていないので、あくまでも推定ですが。

今住んでいる家は、1996年に完成しました。とにかく3万冊の本の重量に耐えられる頑丈な造りにしたかったので、建物は重量鉄骨造。ちなみに重量鉄骨は二階建てを造るための工法ではありません。ビルやマンションを造るためのものなので、人に言うと笑われます。

土地を決めるときの条件は、「広域避難場所が近所にある」という一点のみ。私は何より地震が怖いので、崩れてきた本に殺されない家であること、すぐ近くに逃げられる場所があることを最優先したのです。気に入った土地を見つけるまで、約2年かかりました。

完成した家は、1階は書庫、居住空間は2階、一番日当たりのいい部屋は物置という、ちょっと普通じゃないものになりました。ちなみに仕事部屋はなく、原稿はリビングのちゃぶ台で書いております。3万冊の蔵書は、すべてエクセルに入力し、どの本がどこにあるかすぐにわかるよう、データベース化済みです。

さらに、トイレ、浴室、台所、応接室を除いた部屋の上の空間には、ぬい専用の棚を作りました。ぬい棚は廊下にもあります。あの子たちは集まるとかなりの重量になるので、棚を留めた金具が重みで曲がり、一部の板が傾いてしまったのは想定外でした。

自宅に3万冊の蔵書があると言うと、みなさん驚かれます。自分で購入したのが2万冊くらい、残りは父の没後に蔵書を引き取りました。本に囲まれて育った私には、ごく当たりまえの光景です。

というのも私の家族は、父方の祖父・母方の祖父・父・母の4人が講談社勤務。必然的に本だらけになる環境だったことに加え、本代にはお金を惜しまない家だったため、物ごころついたときには、私と妹にも講談社の児童文学全集をはじめとした、たくさんの本が与えられていました。

その頃お気に入りだったのは、「シャーロック・ホームズ」や「怪盗ルパン」のシリーズ、推理作家であるエラリー・クイーンやアガサ・クリスティなどの児童向け小説。

ところがある日、それらを読み終わってふと家の中を見回してみたら、まだ読んでいない大人向けのエラリー・クイーンの本が山のようにある! 我が家は父がミステリーとSFのマニアだったこともあり、下手な図書館より品揃えが充実していたのです。当時の本はルビがふってあるものも多く、小学生でも十分読むことができました。