撮影:本社写真部
日本中央競馬会(JRA)で16年ぶりに誕生した女性騎手として注目を集めている藤田菜七子さん。この春はJRAの女性騎手としては初めて、競馬で最も上のクラスであるGⅠレースでの騎乗が続きました。6月にはスウェーデンで開催された世界各国の女性騎手による「ウィメン・ジョッキーズ・ワールドカップ」で総合優勝。10月2日にはJRA女性騎手で初の重賞制覇を成し遂げました。快勝を続ける藤田さんが、この3年半を振り返ります(構成=福永妙子 撮影=本社写真部)

世界の女性ジョッキーと交流して

スウェーデンでのワールドカップ優勝は嬉しかったです。JRA所属の女性騎手は私ひとり、地方競馬とばんえい競馬を入れても、現在7人。女性とレースで一緒に走る機会はほとんどないので、その点でも、海外の女性ジョッキーの方たちと交流できたのは貴重な経験でした。

驚いたのは、競馬に関わる女性たちが多いこと。イギリス発祥ということもあってヨーロッパは競馬が盛んです。その中で、スウェーデンは競馬がポピュラーとはいえない国なのですが、それでも女性ジョッキーはたくさんいましたし、私が見ただけでも、馬の調教をする人の半分以上が女性でした。

日本では、厩舎で馬の世話をする人、調教する人、騎手を含めて、競馬に関わる人の99パーセントが男性なので、とても新鮮。

とはいえ、競馬に性別は関係ない。ルールも男女同じです。「女性だから」というのは、私自身も意識したことはありません。一つひとつのレースで勝つことを目指すのみ、です。

レースは18頭が走って、勝つのは1頭だけ。悔しい思いをすることのほうが多いですけど、勝ったときはもちろん、負けたときも、「ああ、ジョッキーになってよかった」と毎回、実感しています。

 

挫折しかけたこともあったけれど

ジョッキーという仕事に憧れを持ったのは小学校高学年のとき。小さい頃から動物が好きでしたが、たまたまテレビで競馬中継を観て、馬と一体となって走るジョッキーの姿に「カッコいいなあ」と思ったんです。それで、両親に頼んで、私の住む茨城県内にある美浦トレーニングセンターの「乗馬苑」に通うようになりました。

中学2年生で本格的にジョッキーを目指すと決め、週5日、乗馬苑に通いました。両親は私が「ジョッキーになりたい」と言ったときから、ずっと応援してくれるありがたい存在。反対されたことは一度もありません。

中学3年生で迷うことなく競馬学校を受験。両親も賛成してくれました。153人中、合格したのは私を含め7人です。全寮制の競馬学校で女子は私ひとり。基本的に、練習メニューは男女同じです。授業は厳しく、フィジカルトレーニングでは、男の子が普通にできることが自分にできなかったりして、悔しいと思ったことは何度もあります。「自分はジョッキーになれないのでは」と挫折しかけたこともありました。しかし、そのたびに両親や先生から励まされ、前に進むことができたのです。

それだけに、卒業して子どもの頃から憧れていたジョッキーになれたときは喜びでいっぱいでした。