「女優をやめようとしていた土壇場でこの作品に出演したことで、国内外の映画祭で主演女優賞をいただいた。そこからまた次々と過激な役のオファーをいただくようになったのです」

シングルマザーになって、ヘルパー2級の資格を取得

その勢いで、高校時代から20代後半までは大忙し。高校生の頃は、朝、出席をとったら、そのまま早退して撮影現場へ。でも、担任の先生には「お前の本分は学生なんだから、3年間、学年で100番以内、クラスで10番以内の成績を収めろ」と言われていたので、卒業するまでは猛勉強。生まれつき、負けず嫌いな性格なんですよ。

ところが、それだけ忙しかったのに、20代半ばで結婚し、長男を出産したことで状況がガラッと変わってしまった。

じつは私、長男を産んだ後に離婚して、27歳のときに実家に戻ったんですね。そのときに父が「30歳までに身を立てろ」と。30歳になるまでは私と息子を食べさせてやるから、その間に自分の仕事を立て直し、親子で生活していけるくらい稼げるようになれって。

もちろん、必死に頑張りましたよ。だけど、出産して、たとえ一時期でも現場を退いたことで、仕事がガクンと減ってしまい思うようにお金が貯まらず、長男の幼稚園の入園費用や制服代も払えずに、すべて父に出してもらう羽目になりました。

そのときに、「女優はやめる」と宣言し、ヘルパー2級の資格を取ったんです。就職先も実家の近くの老人介護施設に決まり、「よろしくお願いします」と挨拶に行きました。

そうしたら、なんとその帰り道に事務所から携帯に連絡が入り、「塚本晋也監督が映画を撮るんだけど、オーディションを受ける?」って聞かれたんですよ。一か八か、もうやるしかない!

まだオーディションも受けていなかったのに、これは縁だ、絶対に自分のものにするんだという妙な確信があったので、その足で介護施設に駆け戻り、「人生、賭けさせてください」って土下座して。それが『六月の蛇』でした。

女優をやめようとしていた土壇場でこの作品に出演したことで、国内外の映画祭で主演女優賞をいただいた。そこからまた次々と過激な役のオファーをいただくようになったのです。