みんなの輪に入っていたかった

大学生にとって、飲み会というのが人間関係を築く上で重要なコミュニケーションの場だった。1~2回生の時はお金がないからと参加を断っていたら、みんな飲み会で親交を深めていて、私だけ打ち解けられず、友達もできなかった。だから3回生からは、飲み会は無理をしてでも参加するようになった。

と言っても、元々お酒は飲めない。さらに、居酒屋は脂っこいものや味の濃いご飯しかない。食べられるのはうどんや冷ややっこだった。それなのに参加費3000円は痛かったが、その価値はあった。飲みの場では、飲める者も飲めない者も素になる。一気に打ち解け、その後の大学生活を支えてくれる、今も連絡を取るような濃い人間関係を築くきっかけができた。

みんなと同じものが食べられない。そのことで、ひどく孤独を感じた。みんなでつまむ用のものが運ばれてきても、あれもこれも、ほとんど食べられない。明らかに浮いていた。みんなも、事情が分からず、不思議がっていた。回を重ねるごとに、どうやらあの子は普通のものは食べられないらしい、となんとなく認識されるようになった。

友達とご飯に行く時も、食べられるものが少なく、困ることがあった。みんなジャンキーなものが食べたい盛りなのに、私に合わせていたら毎回和食になる。それは気が引けた。

あらゆるシーンで、胸がぎゅーーーーっと苦しくなるようなことの連続だった。みんなと同じご飯が食べられないことに、負い目を感じた。食べられないくせにその場にはいたいと思うことが、ひどく我儘なように感じられたのだ。みんなと違うこと、気を遣わせてしまうこと、訳アリだと思われること。その全てがキツかった。

この症状に終わりが見えなかった。例えばこれが、いわゆる普通の胃腸炎などで、数日すれば治るというものなら、今はご飯の場には参加しない、とかできただろう。でも、私の場合、医者もなぜこんなに症状が続くのかわからないと困り果てるほどだった。治るのに何年かかるかわからない。食べられなくても、その場を共有したかった。みんなと同じでいたかった。みんなの輪に入っていたかった。