阿岐本が聞き返した。
「草をですか?」
「ええ。そこを通るときは決して口をきいてはいけないので、口を開かないために草をくわえるんです」
「なるほど。そういう場所では、いわゆる禁忌があるわけですね」
「そうです。タブーに触れると何か悪いことが起きると考えられたわけです。つまり、祟(たた)りですな。そこから神の概念が生まれる。日本の神はもともと祟る神だったんです」
 阿岐本は感心するように言った。
「さすが、専門家は違いますなあ……」
 大木は気をよくした様子で、言葉を続けた。
「やがて、人々が集まり村を作る時代になると、神の性格も変わってきます。人々の願いが寄せられる形になります。自分たちの生活を守ってくれる神になるわけです。これが鎮守の杜(もり)などになっていくのです。さらに、大きな変化がやってきます。農耕が主流になると、豊穣を祈り、実りを感謝するようになります。これが、村祭りのような形になっていくわけですね」
「鎮守の杜を大切にし、村祭りをやるのは、村に住む人々ですね」
「はい。それが氏子です。昔は氏子が神社を作ったのです」
「今でもそうした伝統は残っているわけですね」
「神社は、氏子によって存続していると言ってもいいです」
「祟る神とおっしゃいましたが、神様によってもいろいろなんでしょうな」
「神の概念は大きく分けて二つあります。一つは大自然のありとあらゆるものに神が宿っているという考え方です。もう一つは、神の意志を伝える者がいるという考え方です」
「あ、アニミズムとシャーマニズムですね」
「そうです。ものすごく大雑把に言うと、アニミズムは狩猟民族の宗教観であり、シャーマニズムは農耕民族が村を作り、やがてそれが国となっていく過程で発達していきます」