思わぬ事態

11月いっぱい準備を重ねて、12月1日に制作発表を済ませた。撮影は主人公代議士の地盤に設定した岐阜のロケから始まる。12月3日に現地入りして4日から5日間の撮影である。主要なキャストは、ほぼ全員参加する。

ドラマの冒頭、代議士夫妻(渡瀬恒彦と賀来千香子)がヘリコプターで、「お国入り」するシーンの撮影は2日目の12月5日(月)。撮影用と合わせて中日本航空の2機のヘリコプターを調達した。

初日の岐阜市内のロケーションは順調にスタートすることができた。

しかし翌12月5日、思わぬ事態が出来した。

朝から天皇の「ご容体、重篤」のニュースが飛び込んできた。

「五日 月曜日 未明より血圧の低下及び多量の体内出血が認められ、胃に溜まった血液を鼻から通した管で吸引する処置を受けられる。一時最高血圧が四十台まで低下したが、八百ccの緊急輸血をお受けになり、その後、血圧は回復される」(『昭和天皇実録 第十八』宮内庁編修、東京書籍刊)。

9月19日夜の「ご容体急変」以来、最も「深刻」な状況となった。

とりあえず、午前中のヘリコプター撮影は見合わせることにした。宿で待機していたが、ようやく昼のニュースで「小康状態」が報じられ、午後ヘリコプター撮影を行なうこととなった。午後からは好天にも恵まれ、無事撮影は終了した。

撮影開始時点で、全11回のストーリーラインはラストまでおよそ、こう構想していた。

(1)代議士の「再婚」が裏目に出て、総選挙で苦戦
(2)最下位当選
(3)娘の継母への「反抗」
(4)新内閣で想定外の入閣、運輸相に
(5)秘書の「裏口入学」工作発覚
(6)スキャンダル揉み消しと妻の「妊娠」
(7)過激派のハイジャック事件と妻の「流産」
(8)「法」か「人命」か~「総理の決断」
(9)「政界」を震撼させる「疑獄」事件発覚
(10)側近の大物秘書逮捕で窮地に
(11)運輸大臣辞任・ふたたび「解散」「総選挙」へ・無所属での出馬

――という具合だ。

視聴者が、なんとなく思い当たる出来事を盛り込んだ。結果として、この目論見は成功した。

さて、初回放送は昭和64年(1989年)1月9日。私には、ほとんど年末年始休みなどなかった。世間的にも、天皇の「ご病気」でいつもの「正月気分」とは違ったものだった。

※本稿は、『証言 TBSドラマ私史: 1978-1993』(言視舎)の一部を再編集したものです。


証言 TBSドラマ私史: 1978-1993』(著:市川哲夫/言視舎)

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