「娘にとっての永遠のお手本でいたかったのでしょう。最初は抵抗していたけれども、少しずつ自分の病気や老いを認め、受け入れていったのだと思います」

母の様子が明らかにおかしい、と痛感したのは、倒れる3ヵ月くらい前、私の息子が住んでいたハワイに連れて行ったときです。まず行きの飛行機の中で、母が客室乗務員さんに手伝ってもらってトイレに行くとき、私と目が合ったら「この人は私のお友だちなの」ってその人に言うんです。ええっ!? と思っていたら、到着するなり体調を崩して入院してしまった。

次の日に様子を見に行くと、病室をコンサートホールだと思い込んでいて、「床が汚いわ。大変、早く拭かないと」と私に命令してくる。別の日に行くと、今度は鬼気迫った表情で部屋の一角を指さし「ほら、あそこに黄金に輝くマリア様がいるわよ」……。そんなものいるわけがありません。お医者さんには、血圧を下げる薬の影響だろうと言われましたが、これまでの行状と合わせると、それだけじゃないな、という確信みたいなものがありました。

帰国したあと、イタリアにいる私に母が電話をしてきて、「これから根室までレッスンに行くから、バス停まで送ってくれない?」と。妹と私を間違えていたんですね。テレビに映っている外国人を見て「家の中に男の人が入ってきた」と思い込み、庭にずっと立っていて、帰宅した妹を驚かせたこともあったそうです。これはただの老化とか疲れではないだろう、一度専門医に診察してもらわないと、と話し合っていた矢先に倒れてしまったのです。

入院した当初、私たちは母を個室に入れてもらうようにお願いしました。というのも、日頃から「私が年を取ってボケても、施設には入れないで。介護の人に子ども扱いされるのもイヤだし、よその老人たちと話なんか合うわけがないでしょう」と言っていたから。他の人たちとうまくやっていけるのか、ものすごく心配でした。

しかし、病院での母の様子を見ていた妹から「お母さん、個室より大部屋のほうが寂しくないみたいよ」と言われ、大部屋に移ってみると、なんと母は4人部屋でうまくやっていたのです。患者さんたちのコミュニティに彼女なりに入って、車椅子同士で何か話している。

私の顔を見ると、「××さん、ちょっとちょっと」と知り合いを呼んできたり、母の周りに人が集まってきたり。まぁ皆さん認知症があるので、会話はおおむねかみ合っていないのですが(笑)、それでも何だか楽しそう。

考えてみたら母はそれまで、オーケストラの仲間やお弟子さんなど、大勢の人たちに囲まれて過ごしていた。そういう環境のほうが安心なのかもしれないな、と思い至りました。