問題は「男が家事から解放されている」ことでは?

瀧波 ずぼら手抜きテクニックって、けっこうよそから入ってきますよね。そういうのを日々目にしているせいか、この前思いついて、ジップロック コンテナーに溶き卵とコンソメを入れてレンジでチンしてみたら、ちゃんと卵焼きになったんですよ。もう、頭の中でぷつりと音がしましたね。四角い卵焼き器でそっと何回も卵を巻いて……っていうあの人類の苦しみは終わった、と。

阿古 夫が持ち込んだ文化が、大皿盛り。実家ではひとりずつ小鉢に盛り付けて出すことが正しいという感じだったのですが。大皿のほうがラクなので今はそっちです。

瀧波 誰でも簡単に思いつくような発想の転換が自分では案外、できないんですよ。ある日突然、ハッと気付いて小鉢の呪いから解き放たれる。(笑)

阿古 まだ細々あるのが「名前のない家事」の問題ですね。買ってきた食材を冷蔵庫にしまうとか、洗剤のレフィル、トイレットペーパーやティッシュなど消費材の補充。ひとつひとつはささやかだけど、面倒くさい。でも誰かがやらなきゃならない。

伊藤 アメリカに渡って夫と暮らしだしたのがお互い中年と初老の頃だったから、はなから洗濯は各自でしました。掃除は外注。家族のためにしたことは食事作りくらいでしたね。あたしの言う「自分のことは自分で」って、たぶんおふたりが考えるよりもっと度合いが強くて、徹底していると思う。

阿古 今回のテーマは「女はなぜ家事から解放されないのか」ですが、逆ではないかと思うんです。男がそれから解放されていることのほうが問題だ、と。だって人間として、身の回りの最低限のことは自分でするのが当たり前でしょう。それを妻にやってもらっている“夫族”のほうが、むしろ人間として足りないところがあるんじゃないかと考えてしまう。

伊藤 今日のお話を聞いていて、日本に根付いた土着の文化の中で、みんな内向きになってもがいているんだなと、すごく感じています。

阿古 どこを解放したらいいでしょうか。

伊藤 こだわらなきゃいいんです、いろんなことに。あたし、こう見えても料理は得意だったんですよ。アメリカに住んでいると、あの脂に満ち満ちたジャンキーな食文化を否定するなら、手作りしないとどうしようもない。でも、超老齢だった連れ合いが病院に入ったとき、もう料理はやめた、と宣言しました。

瀧波 寂しかったですか?

伊藤 さっぱりしましたね。いい意味で感傷的になりました。それからはあたしひとり、好きな時間に好きなものを食べる。ラクですね。

私たちがしなければ行けないのは、平成の子どもたちに『女は家のために身を粉にせよ』という刷り込みを引き継がないこと」と話す伊藤比呂美さん