夫の潔い死にざまに、大きな衝撃を受けて

私が見てきた病院で亡くなる場合では、過剰な水分投与によってたいてい体はむくんでいましたが、夫の体にむくみは一切ありませんでした。

また、亡くなったあとは体の中からいろいろなものが出てきますので、看護師は体中の穴に詰め物をするのですが、夫は自分で自分の体をきれいにしてくれたため、その処置をすることもありませんでした。

人間というのは本来、こうして体内のものをすべて自分で出しきり、上手に後始末をして亡くなっていくのです。

私はこの夫の潔い死にざまに、大きな衝撃を受けました。人は自分で死に方を決め、自分で始末をつけて死んでいけるのだと。そして、人は自分の生死にも「選択肢」を持つべきだと思ったのです。

その後、私は病院に戻ることをやめ、仏教を学ぶことにしました。そして高野山真言宗での修行を経て、僧侶になりました。

僧侶として看護師として、両面の立場から看取りの現場に立ちあううち、「役割」や「立場」にしばられて自分の希望を言えない患者さん、そしてその家族の姿を何度も見るようになりました。

自分の死に方を自分で決められない。
愛する人の送り方を家族で決められない。
亡くなる間際まで、自分と世間を比べて悔やむ。

これらの感情に苦しむ患者さんやご家族に、少しでもおだやかな気持ちになっていただきたい、と日々考えています。