亡き義母が炊いたごはんの味
滞在中は座敷に布団を敷きっぱなしにして、体がきつくなったらいつでも横になってもらうように準備した。大好物の果物をおいしいと残さず食べていたし、桜の名所にみんなで行き、泣いて駄々をこねる1歳の孫に呆れながらも満開の桜を見上げていた。帰りの新幹線のホームで「ほらね、大丈夫だったでしょ」と笑顔を見せた義母。私はそれが最後になるとは思ってもいなかった。義母は別れのつもりだったとしても……。
それから1ヵ月後の夜、義父から電話がかかってきた。日頃から無口な義父が「あのな、死んでしまった」と短く言った。
「えっ、どなたがですか?」
私はとっさに義母のこととは思えなかった。
「かあさんや」
夕食のときにお手洗いに立った義母の、「お父さん」と叫ぶ声を聞いてかけつけると、倒れていたという。慌てて背負い、近所の病院に行こうとしたが、義父の背中からバタンと後ろに倒れ、こと切れてしまった。
「できるかぎり家にいたい」と望んでいた義母。64歳という若さだったが、自宅で、義父の背中で最期のときを迎えられたことは本望だったろうと思う。
夫はスペインに出張していたため、義母の急逝を国際電話で無我夢中で伝えた。翌日、2人の子どもの手を引いて新幹線でかけつけると、義母の妹が親戚のために食事を用意していた。
「遠いのにすぐに来てくれてありがとう。おなかすいたでしょう。おにぎりでも食べて」
そう言うと、目を赤くした義母の妹は小さなおにぎりを差し出した。
「これはね、昨晩、姉が炊いたごはんなの。だから食べて……」
亡くなった人が炊いたごはんをその通夜で食べるという経験は、あまりあることではないと思う。最後までひたむきに走り続けた義母が炊いたごはんで作ったおにぎりの味を、私はいまも忘れられない。