「そんなとき、フラワーセラピーに出会ったんです。花に触れることで癒やしを得るとでもいうのでしょうか。まさに、私自身の今を象徴しているようにも感じられて、のめり込んでしまいました」

心理学、植物学、アロマテラピーやコミュニケーション心理学を学び、花を媒介に人を癒やすセラピストを目指して、フラワーセラピーの資格を取ったのが2年前。以来、介護施設や高校などで、お年寄りや生徒たちと、花を通したコミュニケーションを楽しんでいるという。

「まだまだ十分な収入は得られませんが、楽しいですよ。好きなことを仕事にしているという満足感だけで生きていけそう」

近くに住む娘から孫の子守を半ば強制的に頼まれて、「花の仕事の予定を乱されるのが悩みの種」と苦笑する葛西さんだ。

 

ケース2

母の介護を終え、ここが本当の定年後、と思ったら

井沢道子さん(67歳)が定年を迎えたのは7年前。新卒で出版社に入って38年、月刊誌も週刊誌も単行本もテキストも担当してきたベテラン編集者だった。

「会社の制度がどんどん変わって雇用延長期間が延びていきましたが、60歳を超えて勤める気はまったくありませんでした。というのも、最後の3年ほどは母の介護に追われ、いつ早期リタイアしようかと考える日々でしたから」

一人暮らしをしていた母親の具合が悪くなったのは、井沢さんが57歳のとき。病院の付き添いや様子見の実家通いが頻回になった時期は、仕事面で責任が重くなるときと重なる。午前中に母を病院に連れて行き、午後は取材、夜は打ち合わせと、締め切りに追われ、髪を振り乱して走り回っていた。

「しんどい毎日でしたが、定年という区切りがあったから乗り越えられたのでしょうね。あと1年、あと3ヵ月、あと1週間と、時間的な区切りが励みになって頑張れたのかもしれません。会社を去るのは寂しかったけど、これで心置きなく母に寄り添ってあげられると思うと、すっきり辞められました」

退職後は、週のうち半分は実家に泊まり込み、母と暮らした。久しぶりの母と娘の充実した時間だったが、それも母の死で終わる。退職から2年が経っていた。

「ここからが本当の定年後だった」と振り返る井沢さん。子どもがいないので、夫を誘って海外旅行や豪華クルーズの旅を楽しんだ。しかしそれも半年ほどで飽きてしまう。健康維持のためにジムにも通ってみたが、自由な日々はなんとも落ち着かない。

「貧乏性なのでしょうね。長年の会社員生活が体に染みついているのか、目的や締め切りやミッションがないと所在ない感じになって、元気が出ないんです(笑)」