初めて心配になったのは、大学卒業が就職氷河期と重なったこと。

「教師は意外と世間が狭いというか、仕事と言っても学校関係のことしかわかりません。とりあえず娘にも教育関係の仕事をすすめたのですが……」

正社員として就職した教科書出版社で営業に配属されたものの、人付き合いが苦手な由美さんは、ストレスから体調を崩し1年後に退職。以降は派遣社員として、数年おきに職場を変えながら現在に至る。

「動物好きな娘が、教育関係に興味なんてあるわけないのに……。性格に合わない仕事をすすめて申し訳なかったと思います。ただ、私にとって仕事とは、一つの職場で経験や努力を重ねて上を目指すもの。だから、今の娘を見ているとついつい心配になってしまうのです」

その思いが「もうちょっと努力してみたら?」「我慢が足りないんじゃない?」という言葉になって出てしまったこともある。転職のために資格が必要なら費用を出すと申し出ると、娘は「今のままで十分」と答えるばかり。

恋人の気配を感じられない娘を見るに見かねて、吉川さんが入会費を払い婚活サービスに登録したこともある。ところが、由美さんは2、3度お見合いパーティに参加しただけで、とくに熱心に活動しないまま、登録期間が終了した。

「30代半ばになっても親元にいるのがよくないのかと、『引っ越し費用は出してあげるから』と一人暮らしをさせてみたりもしたんです」

しかし由美さんの飼い猫が病気になり、仕事をしながら面倒をみるのは大変と、4年足らずで戻ってきてしまう。時を同じくして、吉川さんは定年退職。新たな同居生活が始まった。人生の大半を仕事に邁進し、家事は娘任せだった吉川さんが、家事全般を担うという生活。

「上げ膳据え膳で当然という態度で、文句ばかり一人前。こんなにワガママな子だったかしらと、今さらながら驚いています」