(写真提供◎越乃さん 以下すべて)
圧倒的なオーラを放つトップスターの存在、一糸乱れぬダンスや歌唱、壮大なスケールの舞台装置や豪華な衣裳でファンを魅了してやまない宝塚歌劇団。初の公演が大正3年(1914年)、100年を超える歴史を持ちながら常に進化し続ける「タカラヅカ」には「花・月・雪・星・宙」5つの組が存在します。そのなかで各組の生徒たちをまとめ、引っ張っていく存在が「組長」。史上最年少で月組の組長を務めた越乃リュウさんが、宝塚時代の思い出や学び、日常を綴ります。第37回は「誰かの幸せを願う手紙」のお話です。
(写真提供◎越乃さん 以下すべて)

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コーヒーとチョコレートを準備し「試合開始」

今年もやってきました。
この時期が。
年末恒例の年賀状の山を前に、一度深呼吸をしてから気合を入れます。
お気に入りのペンと、コーヒーとチョコレートを横に置いたら試合開始です。

どんなに多くても全ての年賀状を手書きします。
書くことは慣れています。
問題は年々短くなる集中力の短さだけです。

宝塚時代からハガキを書くことは多くありました。
年賀状、サマーカード、公演のお礼状だけでなく、
タカラジェンヌにもお手紙文化がありました。
千秋楽の前日に、お世話になった上級生や下級生などにお礼のハガキを書く習慣があり、
感謝の気持ちを書いていました。

気持ちをしたためるものなので、ハガキでなくてもいいのですが、
なぜかハガキが大半を締めていました。

手書きの年賀状