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通常の家庭では、親が子どもに道徳観念や“人として”大切なことを教える。だが、中には歪んだ感情をぶつける相手に「我が子」を選ぶ親もいる。そういった場合、子どもは親に必要なあれこれを教わることができない。私の親も、まさにそれだった。 だが、そんな私に生きていく上で必要な道徳や理性、優しさや強さを教えてくれたものがある。それが、「本」という存在だった。 このエッセイは、「本」に救われながら生きてきた私=碧月はるの原体験でもあり、作家の方々への感謝状でもある。

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姉も、兄もいた。私だけが愛されなかった

“……なぜ、おれなのだろう”

閉鎖病棟の図書スペースで出会った物語ーー『精霊の守り人』の中で、最初に惹かれたのがこの一文だった。

本書は、上橋菜穂子氏による長編ファンタジー小説『守り人シリーズ』の第一作である。水の都「新ヨゴ皇国」の第二皇子であるチャグムは、ある日突然、精霊の卵を体内に産みつけられた。そのことに端を発し、数々の受難に見舞われるチャグム。そんな彼を命がけで守り続けたのは、行きがかり上、彼の護衛を頼まれた女用心棒のバルサだった。

つい先日まで安全な宮の中で皇子として生きてきたチャグムは、わけもわからぬまま身分を奪われ、平穏な日常を奪われ、母との生活を奪われた。バルサに助けられながら、どうにか命をつなぎとめる日々。その生活は、決して楽なものではなかった。バルサの幼馴染であるタンダも献身的にチャグムを支えるが、ある日とうとうチャグムの鬱憤が爆発する。

“いやだ!いやだ!いやだー!”

“くそったれ!なんで、おれなんだ!なんで、こんな目にあわなきゃ、ならないんだ!”

チャグムの叫びが、私の叫びと重なった。

姉もいた。兄もいた。それなのに、私だけが愛されなかった。私だけが多くを失い、私だけがおかしくなった。

みんなが大学で学んだり、就職して働いたりしながら青春を謳歌していた10代の終わり、私は数センチしか開かない窓の向こうを睨みつけ、白いシーツを握りしめて、排泄物の臭いが漂う食堂で食事をしていた。薬を飲まなければ眠れず、薬を飲めば副作用で手が震える。「生きたい」と思った数時間後に「死にたい」と思う。そのくせ、自分が死ぬ瞬間を想像すると恐怖を覚える。あの日々は、私にとって地獄だった。

周囲との格差を目の当たりにするたび、どうしようもない憎しみが吹き出した。膿を突き破って流れ出るそれは、悪臭を放ち、私の内部をいとも容易く侵食した。憎しみの対象は両親だけにとどまらず、“自分よりも恵まれていそうな人”にまで及んだ。

閉鎖病棟の広間には、大型テレビが一台だけ設置されている。患者は、チャンネルを変える権利を持っていない。よって、日々見たくもない映像が垂れ流される。高級な料理、景色の良い温泉宿、アットホームな家族の姿、苦難を乗り越えて成功した者の生存者バイアスたっぷりの“名言”。

「神様は、乗り越えられない試練は与えない」

だったら、どうして自殺をする人が後を絶たないんだよ。

そう思いながら、目の前の白飯を飲み下した。ご飯を残している間は、退院させてもらえない。入院費の心配をせずに療養できる人にまで、妬みの感情を抱いた。このときの私は、目に映るすべての幸福を憎んでいた。