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通常の家庭では、親が子どもに道徳観念や“人として“大切なことを教える。だが、中には歪んだ感情をぶつける相手に「我が子」を選ぶ親もいる。そういった場合、子どもは親に必要なあれこれを教わることができない。私の親も、まさにそれだった。
だが、そんな私に生きていく上で必要な道徳や理性、優しさや強さを教えてくれたものがある。それが、「本」という存在だった。
このエッセイは、「本」に救われながら生きてきた私=碧月はるの原体験でもあり、作家の方々への感謝状でもある。

前回「両親の虐待を逃れて家出するも、見つかり閉鎖病棟へ。どちらがマシかと考えた「人間扱いされなくても、人間をやめなくていい」」はこちら

閉鎖病棟内に蔓延する患者への差別と虐待

虐待の後遺症により入院した閉鎖病棟は、優生思想の名残が根強く残る場所であった。「牢獄」という意味では、実家のそれと大差ない。しかし、私は退院から一月も経たぬうちに、再びそこに舞い戻った。

「実家より、うちの病院の第三病棟(閉鎖病棟)のほうがマシだと思うなんてよっぽどだよ。そんな家なら、早く出ちゃえばいいのに」

入院後、はじめての診察で主治医にそう言われた時、脳内にあふれたさまざまな感情を私は言葉にしなかった。ただ力なく笑いながら、「そうですね」と答えた。

出ましたよ。家出をして、どうにか一人で生きていこうとあれこれがんばったけど、結局駄目で。フラッシュバックも悪夢も自分ではコントロールできなくて、希死念慮もおさまる気配がなくて、お金もなくて頼れる人もいなくて、それで親に連れ戻されて、今ここにいるんです。

そう言ったところで、こちらが望む返答が返ってくるとは思えなかった。本来、精神科の閉鎖病棟は、私のような虐待被害者にとって逃げ場となるべき場所であってほしい。「保護室」は、名前の通り「保護する場所」であってほしい。

しかし、現実は違った。保護室はただの「檻」で、病棟内の空気は冷笑と侮蔑に満ちていた。そのことを恥じるでもなく、「うちのほうがマシだと思うなんてよっぽどだ」と言えてしまう主治医は、私にとって信頼に値する大人ではなかった。

当然ながら、このような病院や医療者ばかりではない。現に、私が今通っている病院の主治医を私は信用しているし、数年前に入院した閉鎖病棟は、「檻」ではなく正しく「病棟」として機能していた。しかし、およそ20年前の世間の風潮を鑑みるに、閉鎖病棟内で患者への虐待や拘束が蔓延していた事実は否めない。

ちなみに、私の地元には精神科の病院が一軒しかなく、地域の人たちからはその病院名を侮蔑的な名前に置き換えて呼称していた。

「あの病院には、近付いちゃいけないよ」

大人が子どもに平然とそう教える地域で育った。何も知らない子どもの頃は、大人の言葉に疑問を挟む余地がない。そのことを、今改めて恐ろしいと思う。閉鎖的な地域で、精神疾患や障害に関する正しい知識を持ち得ず、勝手な思い込みだけで正否を測り、見も知らぬ他者を侮蔑する。果たして、その人は「心ある人間」だろうか。