「結婚を誓った二人には、空襲の恐怖よりも、ひとときの逢瀬の幸福が勝った」(写真提供:Photo AC)
NHK朝の連続テレビ小説『ブギウギ』。その主人公のモデルである昭和の大スター・笠置シヅ子について、「歌が大好きな風呂屋の少女は、やがて<ブギの女王>として一世を風靡していく」と語るのは、娯楽映画研究家でオトナの歌謡曲プロデューサーの佐藤利明さん。佐藤さんいわく、笠置シヅ子と吉本穎右が一つ屋根の下で暮らせたのは、とても短い期間だったそうで――。

戦時下のロマンス

1943(昭和18)年、服部良一が映画『音楽大進軍』(3月18日・東宝)で「荒城の月」ブギを試していた頃、「笠置シヅ子とその楽団」は、日本各地で音楽ショウの巡業をしていた。

すでにジャズという言葉は軽音楽に置き換えられ、そのレパートリーも服部の編曲したインドネシア民謡や「アイレ可愛や」などのわずかの持ち歌だった。

この年の6月21日から10日間、シヅ子は名古屋・大須の太陽館に出演していた。

ちょうど御園座では新国劇「宮本武蔵」を上演しており、28日の昼、シヅ子は舞台の合間を見て辰巳柳太郎の楽屋に挨拶に行った。

そこで一人の青年と出会う。

「グレイの背広をシックに着こなした長身の青年で、ジェームズ・スチュアートのような端麗な近代感にあふれていました」(歌う自画像 私のブギウギ傳記・48年・北斗出版社)。

その青年は、吉本興業の創業者・吉本せいの息子・吉本穎右(えいすけ)、笠置よりも9歳下の19歳、早稲田大学の学生だった。シヅ子も穎右も大阪出身で東京暮らし。何かと心細いこともあり、仲の良い友達としてお互いの自宅を行き来するだけの交際がスタートした。