今は小さくて可愛いおばあちゃんに

8年ほど経ったある日のことである。弟から突然「母さんが大変なんだ。会ってもらえばわかるから。もう俺だけじゃどうしようもない」という電話が入った。冷静さを装うが心臓の鼓動がいつもより速い。

一人で実家を訪れるのは怖すぎて、息子と娘についてきてもらった。深呼吸して、ピンポーン。「祐有子! あらぁ孫たちまで!」。満面の笑みを浮かべ、一回りも二回りも小さくなった認知症の母がそこにいた。

母は、「どうしてしばらく来なかったの?」と問う。私は、「来なくさせたのはママでしょ!」とふくれる。ようやく言ってやれることに満足しながら。母は下を向いて聞いている。曲がった背中をさらに縮め、「ごめんね、ママ、そんなこと言ったの? 全部忘れちゃって覚えてないのよ」としくしく泣く。

そして、「あなたを保育園に預けていた時のことだけど」と、いくつもの昔話を聞かせてくれた。母には幼子だった頃の私の印象が強いようだ。その深い愛情に導かれ、今の私があることに改めて気づかされる。

元気だった頃の母は気が強く、自分が悪くても絶対に謝らなかった。だが今は、小さくて可愛いおばあちゃんになった。認知症は人格を崩壊させる、と言う人もいる。でも母は違う。昔よりも表情が豊かになり、人格的にも深みや厚みが増した。

面倒なことはあっても、母が認知症になってくれたおかげで、私は母との幸せな時間を得ることができた。あのまますれ違っていたら、墓石に刻まれた名前を見た瞬間、私は自分を責め、母を責めたに違いない。

これまでの時間を取り戻すかのように、私は実家に通い、母と話をした。その後、母は一人暮らしができなくなり、施設に入居。1ヵ月後には末期のがんであることがわかった。私たちは文通を重ねた。ある日の母からの手紙にはこうある。

「ずっと会うことのなかった祐有子ちゃんとお話ができて、私の娘がこんな可愛い顔をしていること、やさしい気持ちの娘だと知れてホントに良かったと、寝る前に泣いてしまいました。神様が取り計らってくださったのでしょうか」

再会を果たしてわずか1年後、母の名前が仲のよかった父の隣に刻まれた。母は認知症になり、私のもとに母として帰ってきてくれたのだ。


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