撮影:本社写真部
通巻1500号を超えた『婦人公論』。その歴史を追ったエッセイストの酒井順子さんの本誌好評連載「変わる女、変わらぬ女」が一冊の本になりました。大正、昭和、平成という時代の変遷を経て、女性に訪れた変化は、あるいは変わらないことは……。酒井さんと、歴史と皇室、鉄道に詳しい政治学者の原武史さんが、『婦人公論』102年の歴史をひもときながら、女性たちの道のりを振り返ります

女たちの覚醒は、「ちょっと困ったぞ」

酒井 6月に刊行した『百年の女』は、『婦人公論』で1年半にわたって連載したものをまとめた書籍です。創刊以来の膨大なバックナンバーに目を通したのですが、知らないこと、驚くことがたくさんありました。

 何に驚きました?

酒井 創刊時(1916年)、女性には自由も権利もなく、男性の支配下にありました。『婦人公論』は、女性解放を呼びかけた『青鞜(せいとう)』を引き継ぐ形で登場したわけです。ところが意外に、創刊当初の執筆陣はおじさん文化人ばかり(笑)。「男が女を導く」という意識がありありで。

 僕が興味深かったのは、主幹(編集長)の嶋中雄作です。彼は平塚らいてうのような「新しい女」を取り上げる一方、家庭では妻に封建的な態度をとっていた。

酒井 妻には「理論と実際とはちがうよ」と言っていたそうです。

 いかにも当時の男性らしい。

酒井 ただ、彼の内面が「おじさん」だったからこそ、男性側の忌憚なき意見も掲載されたわけで。男性執筆者たちは、女が覚醒するのを「ちょっと困ったぞ」と、見ている。そのあたりが「おじさん」による女権拡張雑誌の面白さだと思います。

 今読むと、進歩的だと思っていた文化人が意外と封建的な発言をしたりしていて驚きますね。

酒井 おじさん文化人たちにとって、女性誌での仕事は片手間のもの。軽い気持ちで臨んでいたフシがあります。それゆえに脇が甘くなり、つい本音が出てしまったのでしょう。女子大の創設者が「婦人と言えども人である」と書くところに、当時の男性の意識がわかります。

 僕も男性なので、擁護させてください(笑)。女性を抑圧しようとする男性は、女性の権力が男性を上回ることを恐れているのかもしれない。もともと女性のほうが長生きしがち。昔の大家族であれば、長命のおばあさんがいて、その前では男たちは小さくならざるをえない。中国でも皇帝亡き後、国母となった西太后が大きな力をふるったでしょう。

酒井 危機感があるから、男性は生きているうちに威張りたい。(笑)

 身も蓋もないことを言うようですが、当時の男性の戸惑いには、そんな背景もあったのでしょう。