(写真提供:photoAC)
放送作家・コラムニストとして、数多くの著名人にインタビューし、コメンテーターとして活躍している山田美保子さん。小さいころは引っ込み思案で話すことも苦手だったそう。そんな山田さんを変えたのは何だったのか。さまざまな出会いや、出会った人のアドバイスを通じて、今の自分があるという山田さん。『キスマイ超BUSAIKU⁉』終了が発表されたが、第39回は「Kis-My-Ft2の北山宏光くんのこと」を振り返ります。

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Kis-My-Ft2を知ったきっかけ

「山田さんとは2009年のPLAY ZONE太陽からの手紙からとてもお世話になっています。当時のこともとても憶えています。デビュー前でしたし、一つ一つのことが青春のようです。僕らの青春を作品やコンサートを通して一緒に感じてくださり応援してくださっていることにとても感謝しています。

デビュー12年目に入ろうとしています。メンバーはこの12年で山田さんが言う通り沢山の変化と成長がありました。これからも成長と、変化の繰り返しだと思います。僕らグループの進化を楽しみながら今後も応援していただけると幸いです」

これは昨夏、『女性セブン』での私の連載が1000回を数えたタイミングで、それまで恐らくもっとも取り上げたであろうKis-My-Ft2について改めて書いた際、北山宏光くんが届けてくれたメッセージです。このメッセージも雑誌に掲載されました。

当時北山くんは「体調不良」との報道があったのですが、マネジャーさんを通じて締め切りまでに上記のコメントを寄せてくれました。本当にありがたかったです。

コメントにあるとおり、私がKis-My-Ft2(以下、キスマイ)を知ったのは、『PLAYZONE2009 太陽からの手紙』(青山劇場)でした。

『PLAYZONE』と言えば、少年隊が1986年~2008年まで守ってきた演目。その翌年、キスマイの7人が『太陽からの手紙』のメインキャストとして青山劇場と梅田芸術劇場(大阪)に立ったのです。

ありがたいことに、事務所から“お招き”を受けました。でも実は私は当時のジャニーズJr.についてよく知らなくて、青山劇場に出かける最大のモチベーションとなったのは「ニッキ(少年隊の錦織一清さん)が初めて作・演出をするなら見てみたい」でした。