1980年代から、AI(人工知能)開発に携わってきた黒川伊保子さん。研究者としてAIの発展を見守ってきたからこそ実感する、人間に求められる課題、仕事や教育、エネルギーについてなど、さまざまに語り合いました
50代になると勘が働く脳が完成する
竹内黒川さんは、「感性アナリスト」として活動なさっています。ご自身で命名された職業名だとか。
黒川はい。私は人間の脳の研究をしていますが、科学者というより分析者です。だからといって「ブレインアナリスト」では、なんだか怪しい(笑)。それならば何かなと考えたときに、日本語の「感性」が一番しっくりきて、そう名乗ることにしました。
竹内脳の研究で「感性」にスポットを当てるというのは、新たなアプローチですね。
黒川大学で、物理学科に在籍したのが大きかったと思います。たとえば脳生理学の授業で、教授が「人間の脳のピークは28歳です」と言ったことがありました。でも、「物の理(ことわり)」で発想する人間は、寿命が100歳近くまである体に、賞味期限が28年しかない脳が搭載されているのはありえない、と考える。
竹内私も物理学出身なので、その感覚はわかります。
黒川脳は28歳くらいまでは入力装置なんですよ。でも、そうして大量に吸収してきた知識は、意思決定するときに選択肢が多くなりすぎてしまうため、次の28年間は脳内の電気信号の行き来を意図的に端折(はしょ)るようになる。生理学的にはそれを〝老化〟と呼びますが、実際には56歳になって、いわゆる〝勘〟で正解を導くことのできる脳が完成するのです。
竹内面白いですね。大学卒業後に就職した富士通の研究所では、初めからAIの研究をなさったのですか?
黒川はい。実は、私が入社した1983年は日本のAI元年なんです。当時、社会の基幹業務がほとんど手作業で行われていました。
竹内金融、流通、鉄道、医療など、あらゆるものがそうでしたね。
黒川そういう社会システムの開発は、当時の花形でした。そんななか、来る21世紀に向けて、AIの基礎開発が始まったわけです。ですから私は、AI専門に教育されたエンジニア1期生。というと聞こえはいいですが、実際は、いつ花開くかわからない分野に、自ら手を挙げる人はいませんでした。(笑)
竹内でも、91年には全国の原子力発電所で、黒川さんが開発した世界初の日本語対話型データベース検索システムが稼働する、という成果を上げておられます。
黒川正確には、AIに一歩近づいたというレベルですけれど。当時は、日本語の対話によってデータを見つけられるシステムなんてこの世になかったので、達成感は大きかったですね。ちなみに、このシステム名は「ANIKA(アニカ)」と言って、今では考えられませんけれど「35歳の美人女性司書のようなイメージで」というリクエストがあったんですよ。(笑)
竹内利用者から「問いに対して『はい』という返答が続くと、冷たい感じがする」というクレームがあったとか。それで、「ええ」や「そうです」を交えて返答するプログラムを付け加えたのですよね。
黒川ええ(笑)。それと、もうひとつ。ANIKAには「ばか」と言われたら「ごめんなさい」と応えるようプログラミングしていました。ある日、会話の履歴を見返していたところ、「ばか」「ごめんなさい」の応酬のあとに利用者の「すまない、俺も言い過ぎた」というセリフが残っていたのです。たとえAIが相手だとしても、こんなふうに対話は思いがけず人の心に隙を作ってしまう。AIに、中途半端に人の真似をさせてはいけない。人の感性を研究しつくさなければと思ったのです。そうした出来事も含めて、この開発プロジェクトは今の仕事に結びつく転機になりました。
