奇跡を望む勇気がない

今は、恋愛・結婚・子育てのいずれか、または全てを望まない、でもパートナーや家族は欲しい、という人も増えてきた。私も友達に、恋愛がわからない、結婚したいかもわからなくても、世の中にはきっと同じように、それでもパートナーはほしいっていう人もいるんじゃない?と言われた。

実際、そういった人たちがパートナーを募集しているのを目にすることがある。私は、パートナーが欲しい、とまっすぐに言える人たちが、とても眩しく見える。パートナー募集に立候補するということは、「条件で選ばれる」というフィールドに立つということだ。結婚すること、結婚しなくてもパートナーになるということは、相手の人生の全部ないしは一部を引き受けることだと思う。

写真提供◎AC

そう思うと、“普通”から外れた問題だらけの私は、選ばれるというフィールドにはとても立てないと思ってしまう。「自分を選んで」、なんて口が裂けても言えない。自分みたいな不幸な人を増やしたくない、相手を自分の人生に巻き込みたくない、という気持ちが上回ってしまう。

もちろん、結婚や出産を望まない、疾患がある、無職、借金がある、毒親など様々な事情を抱えた人たちでも、理解してくれるパートナーに出会っていく人たちだっている。でもそれは、気が遠くなるような確率での、奇跡のような出来事ではないだろうか。私は奇跡を望む勇気がない。期待したって、きっと辛くなるだけだから。