トキシック・ポジティビティ

トキシック・ポジティビティ(toxic positivity)、“有害なポジティブさ”という言葉がある。どんな境遇でもポジティブに捉えるべきといった考えや、あらゆることにポジティブな意味づけをしようとすることは、時に“有害さ”を孕む。

常々思うのは、ポジティブ自体は悪いことではない。行き過ぎたポジティブさ、「ポジティブ教」とでも言おうか、それに問題がある。

貧困を経験して強くなった、というストーリーがあれば、きっとメディアは喜んで紹介するだろう。一方で、貧困をポジティブに捉え、当事者が嬉々として発信すれば、貧困に陥らざるをえない日本の現状、社会の構造に蓋をすることに加担しかねない。

障害があって生きづらい、という本音は、ポジティブではないかもしれない。でも、障害があっても不自由なく生きられる社会ではない、という現実をあぶりだしてくれる効果があるだろう。

写真提供◎AC

ポジティブというのは、「個人で乗り切る力」を強調する効果がある。物価高を節約という知恵で乗り切ろう、低賃金ならスキルアップして転職しよう。一見聞こえはいいし、いい話に聞こえるし、きっと間違ってもいない。でも、そういったポジティブさ、個人の努力ばかり称賛され、クローズアップされれば、物価高に無策な政府の責任は透明化される。低賃金に声を上げる人たちが、ときに自助努力が足りない、嫌なら仕事を変えろ、という批判を浴びることにもなる。