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親の長生きを願い、老後の暮らしを支える人は多い。一方で、幼い頃から親の暴言や自己中心的な態度に傷つけられてきた娘たちは、複雑な心境だ。自立したり結婚したりして、嫌いな母親と距離をとっていたのに、介護が必要になった母にかかわらざるをえないケースもある。トラウマを引きずる人、やむをえず世話をする人などそれぞれの思いを追った(取材・文:石川結貴)

「ありがとうの一言もない」(友加里さんの場合)

「ヘルパーさんの悪口からはじまって、あっちが痛い、こっちがつらいと愚痴を繰り返し、私への《口撃》も止まらない。食事を出せば『こんなのブタでも食べやしない』と罵られるし、『それなら食べないで』って返すと『そうだね、私が死ねばうれしいでしょう?』とふてくされる。まともに相手をしていると、こっちがおかしくなりそうです」

コロナ下の取材、電話越しに聞こえる友加里さん(56歳・仮名=以下同)の声は沈んでいた。千葉県内の飲食店でパートをしながら、電車で20分の距離にある実家を週に二度ほど訪ねている。一人暮らしの母(80歳)を世話するためだ。

肺気腫と白内障を患う母は要介護1。週に3回の訪問介護を受けているが、生活全般をカバーするには足りない。友加里さんは家事や通院時の付き添いなどをしているものの、「ありがとうの一言もない」と嘆息する。

子どもの頃から母の愛情を感じられなかった。両親と弟との4人家族、自動車整備士の父は温厚な人だったが、母のほうは勝ち気でヒステリック。些細なことで父に罵声を浴びせ、モノを投げつけた。

「私と弟にはもっとひどかった。うっかり服を汚したり、宿題を忘れたりすると『お仕置き』です。一日中押し入れに閉じ込められ、トイレにも行かせてもらえない。我慢できずに漏らすと、真冬でもバケツの冷水を頭からかけられる。火のついたタバコをお尻に押し当てられたこともありました」