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「私の人生に待ち受けていた試練」は50歳でのがん告知だった。直島加奈さん(仮名)は思いもよらぬ事態に打ちのめされる。「なぜ私が…」という衝撃から立ち直らせてくれたのは、会ったこともない「友人」たちだった。闘病ブログに励まされた直島さんは、自分でもブログを始めることを決意する。次々と寛解していく仲間たち、そしてついに直島さんも…(「100周年読者ノンフィクション大賞」より)

〈2からつづく

共感こそが励ましに

ピカリさんは、当時のブロ友になった同病の人たちの中では、もっとも長くブログを続けている人だった。4年も5年も前から続けていたが、過去のある時期のブログを削除してしまったようだ。想像するに、ピカリさんは最初にこの病気になった時に相当ショックを受けたようで、その記憶を消し去ってしまいたいと思ったのではないか。後に、初発の時、仕事中にもかかわらず、ふとしたきっかけで思わず男泣きしてしまったという文章を読んだことがある。

そう、彼は4、5年の間に何度か再発してしまったようだ。この病気の治療は、がんを叩いてやっつけて、それでもがんが復活してくるようなことがあれば、抗がん剤を変えてまた叩く。さらにダメなら、また別の抗がん剤、あるいは移植で治療に臨んでいく。そんな経過の中、ピカリさんはがんが再発するたびに、強く、清らかな精神になっていった人だと私は思う。

私と知り合った頃、彼は何度目かの抗がん剤治療で入院中だった。一方、私は治療中でありながらも会社は休まずに仕事をし、たびたび彼氏と食事に出かけたりしていた。そんな私のほうがブログで弱音を吐くことが多く、むしろ入院中であるピカリさんからのコメントで励まされたものだ。特に、治療に関する疑問や相談にはこまめに応えてくれた。自分の昔の記事に書いてあるから読めば参考になるかも、とURLを添えてくれることもあった。

そのブログには、読者がブログに来たことを示す、「来たよ」のマークがあった。今でいう「いいね!」の役割である。ピカリさんは毎朝4時に起きて、まさに朝いちばんに、すべてのブロ友に「来たよ」を押していた。しかも相当の人数に。

私が気まぐれに、別のがん患者や、患者の家族のブログにまで、あれこれ手を広げてチェックしていると、思わぬところに、ピカリさんの足跡「来たよ」があったものだ。コメントもさまざまなブログに寄せていた。彼には「病気の人のためになることをしよう」という志が感じられた。なので、彼もまた当時のブロ友仲間の人気者だった。