「住み開き」というかたち
かくいう私も、終の棲家として新築マンションに引っ越したのは60代のときでした。建物の前には、市の管轄の緑地帯が草ボウボウの状態で放置されていたので、「みんなで草取りをして、花を植えませんか」とマンションの掲示板で呼びかけたんです。
結果、20人ほどの住人が参加してくれて、8年ほど経ったいまも草取りをしたり、水やりをしたり、次はパンジーを植えましょうか、と相談したり。ゆるやかな交流が生まれ、情報交換もできるようになりました。
これは人伝てに聞いた話ですが、あるご夫婦がマンションに移り住む予定でいたものの、妻が急逝して、夫が独居することになったのだとか。そこでエレベーターに「僕と一緒に飯を食いませんか」と書いた紙を貼ってみたところ、同世代のみならず若い住人も、ワインや料理を持ってそのお宅を訪ねてくるようになったそうです。
寂しさを感じたら、自分から動く勇気も必要。孤独を癒やすのと並行して、非常時の安心感も得られれば、ますます幸福度につながるように思います。
いま私が関心を寄せているのは「住み開き」。これは自宅を開放し、訪れる人との交流をはかるという新しいコミュニティの形です。たとえば毎週水曜日の決まった時間はドアを開けておき、誰でも好きなときに来て好きなときに帰る。こちらが用意するのはお茶だけ。めいめいに食べるものを持ち寄って、あとは何をしてもいい。そんな場をつくりたいな、と考えているのです。
社会とつながりのある高齢者ほど、健康を維持しているという調査結果もあります。自立して暮らす期間をできるだけ延ばすためにも、人間関係は何か摩擦が起きたら考える、くらいのおおらかさで。40年もあれば、それだけやり直しがきくチャンスもあるわけです。
いまは65歳以上を高齢者と呼びますが、5年ほど前、すでに日本老年学会と日本老年医学会が高齢者の定義を75歳以上に見直すよう提言をしました。また、日本は高齢先進国として、世界からその様子を注視されてもいます。100年時代の生き方はまだ未知数。そのモデルケースをつくるのが、読者の皆さんでもあるのです。