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阪神タイガースが日本一になった1985年
1985年(昭和60年)の流行歌 1985年(昭和60年)の日本の空気感 阪神タイガースと経済の関係 阪神タイガースが教えてくれたもの

阪神タイガースが日本一になった1985年

阪神タイガースファンなら誰でも知っている事ですが、1985年はセ・リーグで21年ぶり7度目の優勝を果たします。しかも西武ライオンズを下し、2リーグ制になってから初めて日本一になった特別記憶に残る年でした。

1985年とは、夏目雅子さんが亡くなり、日航機が御巣鷹山に墜落して、阪神の中埜肇球団社長が亡くなった大変な年でした。記憶に残る大事件が多かった年でもあります。

阪神は日航機墜落事故の翌日から巨人・広島・大洋に6連敗します。この年の選手会長に就任したのが 岡田監督です。選手の待遇改善など要望する大事な役割です。当時、入団5年目・27歳だった岡田監督を指名したのは掛布雅之選手でした。

岡田監督は連敗中の広島遠征で選手に集合をかけて、選手だけの緊急ミーティングをひらきます。当時の岡田選手と掛布選手と川藤幸三選手がチームメンバーに語りかけました。「ここまできたら負けられん」と猛虎の意地を訴えたのです。

そこから阪神タイガースの奇跡の復活が始まります。そして日本一へ。凄いですね。