根本的な問題は、働く人が減っていって生み出されるモノやサービスが減っていくことにあります

お金の発明がなかったら小説家もいない?

原田:昔々、まず人間は自給自足し、やがて物々交換が始まり、さらに麦や米など、それなりに保存できて測りやすいものを介して労働を交換するようになり、その果てに生まれたのが「お金」です。そう考えると、飛躍するようですけど、お金というものが生まれなかったら、今の私の仕事もなかったんじゃないかと思うんです。

お金が誕生したことで、人間同士の労働の交換は家族や仲間といった「内側」から「外側」へと広がり、どんどん人間の社会は拡大しました。こうして、いわゆる経済が発展し、人々に余裕が出てきたころから、ようやく「文化」の成熟が始まるんですよね。田内さん、日本で最初の「専業作家」が誰か、ご存知ですか?

田内:知りません。誰ですか?

原田:井原西鶴(編集部注:1642-93年)あたりではないかと言われているんです。戦国の世が終わって天下統一され、人口が増え、経済が発展し、都市が発達し、そして文化が花開いた時代に、専業作家というものが誕生した。そして今、約1億3000万人の日本語話者がいるなかで、私は、小説家としてものを書くことができているんです。これはとてもありがたいことだな、と。

田内:とても熱い話です。そういう原田さんご自身の感覚は作品にも表れるんですね。『三千円の使いかた』の翔平だって、美大で学び、デザイン会社に入って、自分がデザインしたものが世に出る。彼には多額の奨学金という負債があるんだけど、彼のデザインを見た人たちが心動かされたことが、彼の人生を、ある種、好転させるわけですよね。その一番大事なことがちゃんと起こっている、いい世界だなと思いました。「いくら稼ぐか」ではなく「何をするか」。僕も、そういうことを理想論ではなく、現実の話として大事なんだっていうのを伝えたくて『きみのお金は誰のため』を書いたので。

原田:私は今、53歳なんですけど、実はどうやって徐々に仕事を止めていくかというのを考えていた時期がありまして。

田内:そんな、まだまだ書けるじゃないですか。

原田:いえ、本気で50歳くらいのころに考えていたんですよ。そんな矢先に『三千円の使いかた』が売れてくれて状況が変わり、この先どうしたものかと思っていたところに「宮崎本大賞」という賞をいただいて、宮崎県に行ったんですね。公共交通機関が通っていない椎葉村というところにも講演に行ったんですけど、来てくださった方々が「私たちの村のことを書いてください」とおっしゃって。そこで何かまたやる気が起こったんです。それはたしかに、「お金を稼ぎたい」とかではないな、と。

田内:素晴らしいですね。世の中では「お金を増やしたい」っていう欲求がすごく強くなっていて、「お金を増やす」ための指南書もたくさん刊行されています。だけど、その欲求ってすごく個人主義的ですよね。『きみのお金は誰のため』の主人公も、最初は「年収が高い仕事につきたい」と考えていますが、こういう個人主義を応援するのって親ぐらいだと思うんです。

だけど、みんなに喜ばれる仕事をしたい――たとえば小説家を目指すとしたら「みんなに楽しんでもらえる小説を書きたい」ということだったら、親以外にも応援してくれる人が出てきますよね。

『三千円の使いかた』(著:原田ひ香/中央公論新社)