ドラマチックな“コンクール”のその先
イーヴォ・ポゴレリチ。鬼才という言葉がこれほど似合うピアニストは、ほかにいないのではないだろうか。そんな彼が、21年ぶりの新録音をリリースした。
ポゴレリチは1958年ベオグラード生まれ。80年のショパン国際ピアノコンクールを機に注目されたが、このとき彼は入賞していない。その抜きん出た才能が本選を前に落とされたことに審査員のアルゲリッチが抗議し、帰国したことで話題をさらったのだった。
私生活では、音楽的、精神的に強い影響を受けていた師のアリザ・ケゼラーゼと80年に結婚。このとき彼は22歳、彼女は43歳だった。しかし夫人は96年に他界。悲しみのあまり数年間演奏活動から退いたのち、舞台に戻った彼の演奏は、聴き手を戸惑わせるほどの特殊な世界に入っていた。
そして時が経ち、ポゴレリチは新しい世界を構築している。演奏は今も独特で、作品によっては一般的なものの2倍近い時間をかけて演奏することもある。しかし、彼が時間をとって鳴らす響きの意味を理解しようとする行為も含むすべてが、演奏会の醍醐味のようなところがある。
ベートーヴェンの〈ピアノ・ソナタ第22番〉は、冒頭のフレーズから低音に特別な重みがあるが、すぐにさらなるパワーをたたえた音が押し寄せてくる。続く〈第24番〉ではなめらかな歌が流れ、作曲家が楽譜に託した洗練とユーモアを音にしてゆく。重い足取りで進んでゆくラフマニノフの〈ピアノ・ソナタ第2番〉では、一つ一つの和音が心に突き刺さってくる。ロシアの教会の鐘の響き、作曲家の心にあった情熱と闇が、力のある音により、大きく膨れ上がって提示される。
その音楽の意味するところのすべてを理解することは容易でないが、懸命についていくことで、さまざまな感情を体験できる。
イーヴォ・ポゴレリチ
ソニー 2600円
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同じ楽譜からこうも異なる表現が生まれるのか
前述のポゴレリチのエピソードのように、コンクールでは数々のドラマが繰り広げられている。そこで若者がどんな葛藤と喜びを味わい、成長するのかを丹念に描き、話題となったのが、恩田陸の小説『蜜蜂と遠雷』だ。そのこまやかで詩情に満ちた音楽の描写を映像化することは難しいといわれていたが、ついに映画化された。
映像化の鍵の一つは音楽だが、本映画ではそれを、確かな実力を持つ4人のピアニストが担う。しかも、いずれも演奏がキャラクターと見事にマッチしている。
表舞台から消えたかつての天才少女、栄伝亜夜(えいでんあや)の演奏を担当するのは、関西生まれドイツ育ちの河村尚子(ひさこ)。楽器店で働きながら最後のコンクールに挑む高島明石は、フィギュアスケーターとのコラボでも人気の福間洸太朗。養蜂家の父と暮らす少年で、型破りな才能により審査員を驚愕させた風間塵(じん)は、チャイコフスキー国際コンクールで第2位に入賞したばかりの藤田真央。そして、名門ジュリアード音楽院で学ぶ優勝候補、マサル・カルロス・レヴィ・アナトールは、マサル同様、2つの国にルーツを持つ金子三勇士(みゆじ)。マサルのレパートリーは、リストやバルトークなど、偶然にもハンガリーにルーツを持つ金子が得意とするものが多い。
映画公開を前に、4人のアルバムがリリースされたが、注目すべきは、物語のポイントとなっている新作課題曲だ。この課題は、録音の前例のない楽譜を一から解釈して弾くことで、ピアニストの能力を見極めるもの。宮沢賢治の作品に着想を得たという設定の〈春と修羅〉を、藤倉大が作曲。カデンツァ(即興演奏)も各キャラクターに合わせて書き分けた。アルバムには4人の演奏がそれぞれ収められているが、同じ楽譜からこうも異なる表現が生まれるのかと驚くだろう。映画をきっかけに、新しいピアニストや作品と出会うことができる。
金子三勇士
ユニバーサル 3000円