「でも通されたのは霊安室でした。即死だったそうです。夫に対面しましたが、そこから先の記憶が曖昧。夫の両親と日本支社の方がパリに飛んで来て、夫の遺体を運ぶ飛行機に私と娘も同乗したんです。空港に迎えに来ていた私の両親と妹に抱えられるようにして実家に向かいました。翌日には喪服を着て葬儀にも出たし、火葬場へも行きました。でも悪い夢を見ているんだとずっと思っていて、現実感がありませんでした」

 

現実を受け入れた瞬間は

なんとか無事に男の子を出産した。が、母乳は出なかった。

「『赤ちゃんの写真を撮って夫にメールしなくちゃ』なんてつぶやいていたらしいのです。それを聞いた母が泣き出したと、これはあとから妹に聞いた話なのですが」

医師の勧めで、同じ病院内のストレスケア病棟に移り、ひと月ほど過ごした美智子さんは、なんとか育児ができるまでに快復。その後、荷物を整理するためにパリを訪れたのは、夫が死んで半年ほど経った頃のことだった。

「心配だったのでしょう。妹が同行してくれました。一気に片付けてしまうつもりでしたが、夫のスーツ、履いていた靴、愛用していたマグカップなどを一つひとつ見ているうちに涙が止まらなくなって。夫の死後、泣いたのはその時が初めてで、あれが現実を受け入れた瞬間だったのだと思います。帰りの飛行機の中で妹に言われた、『しっかりしないとね。そのことをお義兄さんは望んでいるはずだから』という言葉が心に響きました。でも立ち直ることができたのは、結局金銭トラブルのおかげだったかもしれません」