70年代、公園で開かれたリブ集会で、発言者の話に耳を傾ける(写真提供◎松本路子)

撮り続けているうちに、美津さんのすごさは、その解消されないトラウマを自らのエネルギーの源にして言葉を発してきたことだと感じた。

「他の女たちはまだ正札さえ付けていないのに、私だけがディスカウント台にのぼっているような気分……私を救いたい。私のために頑張ることが世の中全体を変えていくことにつながるんだ」。

常に〈私〉から出発するブレない強さ。だからその言葉には力が宿り、痛みを抱える人の心に響くのだろう。

しかし、美津さんがウーマン・リブ運動に打ち込んでいたのはわずか5年間だ。国際婦人年の75年、初の世界女性会議をきっかけに訪れたメキシコで、現地の男性と大恋愛をして妊娠、出産するが、未婚のまま帰国。自分の弱い身体をケアしながら、シングルマザーとして子どもを育てていくために鍼灸師の資格をとった。

母として鍼灸師として生きた40年以上の歳月については、これまであまり知られていなかったが、私の映画はそうした日常にカメラを向けている。

リブ時代の美津さんは、1対多数の関わりで、その卓抜した言葉によって女たちを惹きつけた。しかし鍼灸師になってからは、1対1で患者と濃密に向き合う。鍼を通じて自らの生命エネルギーを注いでいるのだと言い、治療後は抜け殻のようになって倒れてしまいそうだった。

そこには、長年通い続けて身体がよくなると同時に、美津さんとのおしゃべりで心も軽くなり、前向きに〈私〉を生きようと変わっていく女性たちの表情があった。

運動によって社会全体を変えることはできなかったけれど、一人の人間の身体と真剣に向き合うことで、この人を変えることはできる。そう美津さんは確信しているように見えた。

「一人に3~4時間かけて治療し、オーバーに言えば自分の命をかけて、この人を助けることに夢中になる……私の中にその人の居場所があるし、その人の中にも私の居場所がある。やっぱり5歳の時に失った世界を、新しく自分の世界として獲得し直そうとしている私がずっといるんじゃないかって、この頃やっと気がついたの」。